オーディオ機器を選ぶということ(続・五味康祐氏のこと)
『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、旅のことから始まる。
ちょうど二年前、という書出しで始まるから、
1978年に、3月から4月にかけて五味先生は千鶴子夫人を連れてヨーロッパ旅行に出かけられている。
この旅行のことは、「想い出の作家たち」(文藝春秋)におさめられている五味千鶴子氏の文章にもある。
この旅が終りに近づいたころ、
「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」
と口にされた、とある。
この旅行の3年前に、芸術新潮に連載されていた「西方の音」でマタイ受難曲について書かれた文章の書出しが、
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」である。
五味先生はオーディオの本のほかに、観相・手相の本も出されている人だ。
自分の掌を見つめて、「ガンの相が出ている」といわれていた、そうだ。
また「ガンは予知できるのだ」ともいわれていた、と記事にはある。
予知は自身の死についてだけではなく、昭和28年の「喪神」での芥川賞受賞も、また予知されている。
このところを、また週刊新潮の記事から引用しておく。
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昭和二十八年、『喪神』で芥川賞を受賞した時も、選考発表の日に、奥さんに向って「今度の芥川賞はオレが選ばれるよ。ただし二つに割れるな」といった。
なにしろ当時は、この一作しか発表されていなかったのだから、これを聞いた千鶴子夫人は、「何を、バカな……」と思った。が、その日の深夜、練馬の都営アパートの五味家に届いた電報は、授賞の知らせだった。しかも、松本清張氏との二人受賞だった。
むろん、批評家や編集者から事前に何か情報を聞かされていたわけではないという。
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この年の芥川賞の選考については、週刊文春の、ずっとあとの別の記事で読んだことがある。
ほとんどの選考委員は松本清張氏を推していて、
五味先生を強力に推していたのは坂口安吾氏だった、ということだ。
五味先生の、この不思議な予知能力を日常生活のなかでも折にふれて発揮していたそうで、
「お父さんはエスパーみたい」といわれていたそうだ。