Archive for category Jacqueline du Pré

Date: 1月 26th, 2023
Cate: Jacqueline du Pré

絶対零度下の音

「絶対零度下の音」。
これが、audio sharingを思いつく前に考えていたサイトの名称である。
このことは以前も書いている。

絶対零度下では分子運動さえ止ってしまう。
つまり音は存在しない状態のはずだ。

存在しない音。音が存在しない環境のこと。
それはジャクリーヌ・デュ=プレのことをおもいながら考えていたことだ。

今日(1月26日)は、デュ=プレの誕生日。

Date: 6月 4th, 2022
Cate: Jacqueline du Pré

Jacqueline du Pré(その4)

6月3日に、ジャクリーヌ・デュ=プレのリマスターCDボックスが発売になった。
TIDALでも聴けるようになるだろう、と予想していた。
昨日から、TIDALでも、かなりのアルバムが新しいリマスターで、
しかもMQA Studio(196kHz)で聴けるようになった。

CDボックスを買っても、MQAでは聴くことはできない。
CDのスペックでの音でしか聴けない。

ストリーミングで音楽を聴くなんて……、という人は、
このことをどう受け止めているのだろうか。

昨晩は、TIDALに入っていてほんとうによかった、と、
ひとりで首肯いていた。

もしTIDALで入っていなかったとしても、
今回のデュ=プレのことは、入る大きなきっかけとなったはずだ。

Date: 5月 1st, 2022
Cate: Jacqueline du Pré

Jacqueline du Pré(その3)

三浦淳史氏の「20世紀の名演奏家」に、ビアトリス・ハリスンが載っている。
私は、ビアトリス・ハリスンを、この本で知った。

ビアトリス・ハリスンのことは、あとがきにも書かれている。
     *
 わが国に、ほとんど馴染みのない女流チェリストのビアトリス・ハリスンを選んだのは他でもない──「国際的な名女流チェリストは一世紀にひとりか、ふたりしか生まれない」というジンクスがその通りになったからである。戦前にビアトリス・ハリスン、戦後のジャクリーヌ・デュ・プレがそうである。ふたり共イギリスの生んだ女流チェリストであるのも、不思議といえば不思議である。
 エルガーの名作「チェロ協奏曲」はハリスンによって、その真価が発揮され、これをデュ・プレが引き継いだ形になっている。「エルガーのチェロ・コンは女流に限る」というジンクスも破られていない。
     *
ビアトリス・ハリスンは1892年12月9日に生れ、1965年3月10日に没している。
録音は少ない。

デュ=プレもそれほど多いわけではないが、ハリスンはもっと少ない。
「20世紀の名演奏家」のハリスンの章には、
エルガーのチェロ協奏曲はPearl盤とEMI盤、二種の復刻盤がある、と書かれている。

聴きたい、と思ったけれど、どちらも見つけることができなかったのは、
探し方が悪かったのか。
「20世紀の名演奏家」は、出てすぐに買って読んでいる。
それでも聴く機会はなかった。

いつか聴く機会が訪れるだろう──、とその時は思っていたけれど、
いつしか忘れかけていた。

「20世紀の名演奏家」は1987年に出ている。
なのでずいぶん月日は経ってしまったけれど、思い出して、
TIDALで検束してみると、ある(聴ける)。

しかもMQA(44.1kHz)で聴ける。

Date: 1月 31st, 2022
Cate: Jacqueline du Pré

Jacqueline du Pré(その2)

2022年の1月も、今日で終り。
他の人はどうだか知らないが、
私は1月が、他の月よりも多少長く感じてしまう。
待ち遠しいと思う日がいくつかあるためだろう。

自分の誕生日がある、ということ。
誕生日は、いくつになってもうれしいものだ。

それだけでなく、私の好きな演奏家、作曲家の誕生日も1月の後半に集まっている。
水瓶座の時期に、いくつもある。

今日はシューベルトの誕生日だし、27日はモーツァルトの誕生日でもあった。
フルトヴェングラーが25日、そして26日はジャクリーヌ・デュ=プレである。

これだけではないけれど、好きな演奏家、作曲家の誕生日近くになると、
あと数日で、デュ=プレの誕生日だな、とおもう。
自動的にそうおもうようになっている。

特にデュ=プレの場合は、いまも生きていたら──、
そんなことを、どうしてもおもってしまう。

1945年生れだから、今年で77だ。
多発性硬化症という病に冒されてなければ、いまも現役だろう。
どんな演奏(録音)を残してくれていただろうか──、夢想する。

そんなことおもったところで……、とはわかっていても、
毎年、この時期になると、そんなことをおもう日々が続く。

26日の夜おそくに、iPhoneのロック画面の写真を替えた。
これまでもデュ=プレの写真にしていた。

今回は若いころのデュ=プレの写真にした。
ショートカットのころのデュ=プレは十八歳前後のはずで、
女学生の雰囲気の写真である。

ステージにいるデュ=プレは、どこかをみている。
バックにはオーケストラがいるのだから、彼女がみているのは、指揮者だろう。

でも、ここ数日、毎日、数回以上、このデュ=プレの写真をみていると、
どこを視ているのだろうか、とおもう。

Date: 9月 30th, 2019
Cate: Jacqueline du Pré

1965年夏(その1)

今日、写真家の野上眞宏さんのところに行っていた。
野上さんは、先週金曜日に、メリディアンの218を導入された。

野上さんとは先週の月曜日(23日)、水曜日(25日)、金曜日(27日)にも会っていたのに、
218を聴きたくて、また出掛けていった。

野上さんのところに行くのは、ちょうど二週間ぶり。
玄関を開けると、奥にある仕事場兼リスニングルームからの音が聴こえてくる。

今日の音は、二週間前とはかなり違うことが、玄関を入っただけでわかる。
218の音に、どのくらい満足されているかは、野上さんの顔をみればわかることだ。

野上さんは先週土曜日まで、
写真展「DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965」を開催されていた。
展示されていた写真の点数は、スペースの関係もあって十数点だった。

野上さんが1965年のアメリカ旅行で撮られた写真は250枚ほどだ、と聞いている。

開催期間中の土曜日には、展示できなかった写真のスライドショーが行われていた。
野上さんの解説つきである。

私は都合がつかなくて、土曜日には行けなかった。

野上さんのところで、MQAの音を、いくつかの録音で聴いた。
ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲も聴いた。

曲が鳴りはじめて少しして、野上さんがパソコンを操作して、
スピーカーのあいだにあるディスプレイに、
「DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965」の写真を映し出された。

1965年8月のアメリカが、そこに次々と映し出されていた。
耳にはデュ=プレのエルガーが入ってくる。

この録音も、1965年8月だったことをふと思い出した。

Date: 1月 26th, 2013
Cate: Jacqueline du Pré

68th birthday

10代なかばのころ、ジャクリーヌ・デュ=プレのことを知ったとき、
ずっと年上の人のように感じた。
18違う。

デュ=プレとの年の差は、そのときの私の年齢よりも多い数字だった。

1月26日は、ジャクリーヌ・デュ=プレの68回目の誕生日である。
デュ=プレの誕生日は忘れることはない。
だからfacebookのデュ=プレのページに、
今日が誕生日、ということが表示されても、
そうだ、今日だったんだ、とは思いはしない。

“Today marks Jacqueline du Pré’s 68th birthday. Happy birthday to Jackie!”
ここに「68」という数字を見てしまうと、
あのころとは違って、まだ68なんだ、とおもってしまう。

18の年の差は変わらない。
けれど相対的に、その差は縮んでいくことは、よくいわれることでもあるが、
そのことをしみじみと実感していた。

デュ=プレが多発性硬化症にかからなければ、
あのまま健康でいたとしたら、もしかするとデュ=プレは指揮者として活動していたかもしれない──、
そんなことを10年ほど前から夢想している。

チェロを弾いている、とおもう。
でも、彼女の豊かな音楽性と表現力はチェロだけにはとどまらなかったようにも感じられる。
だとしたらオーケストラを指揮していたようにおもう。
指揮してほしかった、という気持が強いから、そうおもうだけなのかもしれないけれど、
カザルス、ロストロポーヴィチも指揮者でもあった。
デュ=プレが指揮者になっていても、私のなかではすこしの不思議もない。

1年後の今日も、2年後の今日も、これから先、同じことをおもいだしてしまうことだろう。
今日よりは1年後、1年後よりは2年後……、
デュ=プレの指揮がどういう音楽を生み出したのか、を、すこしでも描けるようになれれば、
それでいい。

デュ=プレの指揮を、すこしでも鮮明に描けるようになるための音を求めているのかもしれない。

Date: 10月 14th, 2008
Cate: Jacqueline du Pré

Jacqueline du Pré(その1)

1987年10月19日、ジャクリーヌ・デュプレは亡くなっている。

デュプレが亡くなって、数年後に、音楽評論家の三浦淳史氏の文章で、
イギリスで「Jacqueline du Pré」という薔薇が生れたということを知った。
残念なことに写真はなかった。

1997年にインターネットに接続したときに、検索した言葉のひとつが「Jacqueline du Pré」だった。
ネットならば、Jacqueline du Pré がどういう花なのかがわかるはずという期待からだったが、
まったくヒットせず。

1年後くらいか、やっとイギリスの個人サイトで、写真を見ることができた。
小さな、不鮮明な写真だった。
英文の説明には、入手が非常に難しい、と書かれていた。
栽培が難しいらしい。

日本で見ることは無理だなと思いながらも、数年に一回、ふと思い出しては検索してみると、
日本の薔薇の愛好家のサイトでも見ることができるようになっていた。
薔薇の世界の技術も進歩しているらしい。

Jacqueline du Pré は、
イギリスの薔薇交配家のピーター・ハークネス氏の育てた品種の中から
多発性硬化症で入院していた彼女の視力はかなり衰えていたので、
嗅覚だけで、彼女自身が力強い香りのものを選んだときいている。

1989年、Jacqueline du Pré が世に出ている。

デュプレの命日が近い。日本での入手はそう難しくない。