バルトークと「美」という漢字
十日ほど前に「アーノンクールのマタイ受難曲」でも、
「美」という漢字について書いた。
もう何度も書いているから、くり返しはしない。
「美」という漢字のもつ残酷な一面と、
バルトークの写真とが、重なってくる。
バルトークのモノクロの写真。
初めてみたのは、高校生のころだったか。
美しい人だな、と感じた。
いまもバルトークの写真をみると、そう思うが、
その美しいには、「美」という漢字のもつ残酷な一面を、いまは感じてしまう。
十日ほど前に「アーノンクールのマタイ受難曲」でも、
「美」という漢字について書いた。
もう何度も書いているから、くり返しはしない。
「美」という漢字のもつ残酷な一面と、
バルトークの写真とが、重なってくる。
バルトークのモノクロの写真。
初めてみたのは、高校生のころだったか。
美しい人だな、と感じた。
いまもバルトークの写真をみると、そう思うが、
その美しいには、「美」という漢字のもつ残酷な一面を、いまは感じてしまう。
今日は、夕方、友人のAさんと秋葉原で会っていた。
いつもと同じように、オーディオの話もしたし、それ以外の話もした。
以前は、大型のフロアー型スピーカーシステムに、
アンプもかなり大型のモノで、専用のリスニングルームで鳴らされていたAさんも、
いまはブックシェルフ型スピーカーをプリメインアンプという組合せである。
以前鳴らしていたシステムからは、ずいぶんスケールダウンしているのだから、
こういうことを書くと、あれこれいう人、
いわなくても心の中であれこれ思う人がいるだろう。
Aさんの話をきいていて、
Aさんは、いま本筋の音を鳴らされているんだな、と思った。
Aさんも、音楽を聴いていて、周りに誰もいない──、
そんなことを感じている、ということだった。
ハイエンドオーディオに変に偏っている人は、
その程度のシステムなんて、たいした音はしない──、というであろう。
でも、ハイエンドオーディオのシステムで聴いていても、
そういう気持になれないのであれば、
それは本筋の音といえるのだろうか、と返したくなる。
瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれていた「本筋の音」とは、
どういう音なのか。
そのことについての説明はなかった。
56号を読んだ時は、まだ10代だった。
本筋の音がどういう音なのか、はっきりと何もわかっていなかった、といまではいえる。
本筋の音とは、独りになれる音だ、といまならいえる。
だからこそ、スミ・ラジ・グラップのことば、
「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」
を実感できる。
音楽をオーディオを介して聴いていると、
ふと、他に誰もいないなのではないか、という錯覚に似た気持になることがある。
スピーカーから鳴っている音楽を演奏している人がいる。
そして、それをスピーカーの前で聴いている私がいる。
この二人以外、誰も世の中に存在していない──、
わずかな時間ではあるのだが、そう感じる、というよりも、
それに気づくことがある。
気づく、というのも変な表現だ。
実際に、外に出れば人は誰かしらいるし、
隣近所の建物には誰かが住んでいるわけなのだから。
東京のように人口密度が高い都市では、隣の家との距離も近い。
半径百メートルにどれだけ多くの人が住んでいるのか。
にも関らず、いま独りだ、と気づくことが、
スピーカーからの音楽を聴いていて、ときどきある。
この気づく瞬間が好きなのかもしれない。
この気づく瞬間があるからこそ、ながくオーディオをやってきているのかもしれない。
昨日もあった。
昨日は、野上さんのところで、野上さんと聴いていての気づきだった。
野上さんが私の前にいて、音楽を聴いている。
独りだ、と気づいたし、あっ、独りと独りだ、とも気づいた。
野上さんのところは線路から近い。
電車の走る音によって、
そうだ、野上さんの家の周りには、多くの人が歩いていたり、話していたり、
テレビを見ていたりしているわけだ。
電車の音も、聞こえていたはずなのに、
電車の音に気づくのもけっこうな時間が経っていた。
その電車には多くの人が乗っている時間帯なのに、
なんだか誰も乗っていない電車が走っている感じもしていた。
ここで改めて、なぜグレン・グールドはコンサートをドロップアウトしたのか、
その理由について考えてみる。
こうだ! というはっきりとした大きな理由がひとつだけではないと思う。
いくつもの理由があって、それらがつながっていった瞬間に、
何かがグレン・グールドには見えてきてのコンサート・ドロップアウトなのかもしれない。
「考える人」2005年春号に、内田光子のインタヴュー記事が載っている。
*
生の演奏は、どんなに危険が多くても、これほど面白いものはないと思います。レコーディングは手先のものが入ってくることがあるんです。グレン・グールドはさらにその先に行って、切ったり繋げたりしてやっていたわけですけど、私にはその楽しみはいらないんです。私からいわせれば、それほど自分が大事じゃないから。もちろんグールドはそんな細かなことも超えて凄いものがあった人です。だけれども、私はそういう意味では自我はさほど強くない。やっぱり生の演奏で、音楽を分かち合う瞬間がイチバンなんです。
*
この内田光子のことばには、納得した。
生の演奏を、これほど面白いものはない、と思う内田光子と、
コンサート・ドロップアウトをしたグレン・グールド、
どちらも私はずっと聴き続けている。
内田光子とグレン・グールド、
正反対の二人とも思える。
けれど、二人は冒険というところで同じだ、ということに、内田光子のことばは気づかせてくれた。
コンサートホールでの感動の再現を求めているわけではない、と(その16)に書いた。
このことはあくまでも聴者でいたいからなのかもしれない。
聴衆にはなりたくない……、そう思っているのかもしれない。
ラインスドルフのモーツァルトのレクィエム、ケネディの葬儀でのレクィエムに感動して電話してきた知人は、
どうだったのだろうか。
彼は聴衆の一人でいたかったのだろうか。
彼もオーディオマニアである。
私よりも幅広く音楽を聴いている。
グレン・グールドももちろん聴いている。
それほど熱心なグールドの聴き手とはいえなくとも、聴いているほうだろう。
知人は聴者と聴衆ということを考えていたとは思えない。
そういったこと、そこに関係してくることがらについて彼が話すのは聞いたことがない。
だからといって、そういったことを考えていないとは断言できない。
でも、わざわざラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのことで電話をしてくる。
彼は私と、彼が受けた感動を共有したかったのかもしれない。
おそらくそうであろう。
ならば彼は、少なくともラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのレコード(録音)を聴くとき、
聴者というよりも聴衆であったのかもしれない。
ラインスドルフのモーツァルトのレクィエムはドキュメンタリーであるだけに、
他の録音以上に、聴者なのか聴衆なのかは、無視できないことであるし、こうやって考えてしまう。
こんなことにこだわらずとも、
ラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのLP、CDにおさめられている音楽は聴ける。
そうやって聴いたほうが幸せだろう、と思っても、考えてしまう自分に気がつく。
コンサートホールで音楽を聴く人のことを、聴衆と呼ぶ。
けれど家庭でオーディオ機器を介して音楽を聴く人のことは聴衆とは呼ばない。
聴き手と呼んだり、リスナーだったりする。
レコードと本は似ているところもあり、そうでないところもある。
本を読む人のことは読者という。
ならば音楽を聴く人のことは聴者ということになる。
実際に聴者という言葉はある。
けれど聴者という言葉は、読者ほど一般的ではないし、
コンサートホールで音楽を聴く人のことを聴衆とは呼んでも聴者と呼ぶことはまずない。
この「聴者と読者」については、
黒田先生がステレオサウンド 43号からの新連載「さらに聴きとるものとの対話を」で書かれている。
当時読んで、なるほど、と感心した。
コンサートホールで音楽を聴く。
私にとって、このことはほぼクラシック音楽をコンサートホールで聴くことを意味している。
そこでは音楽を聴くというのは、「個」の行為である。
この点においては、まわりに人がいたとしても、
家庭で一人で聴くことと本質的には違いはない。
クラシックのコンサートでは、皆息をひそめるように聴いている。
そして演奏が終る。
皆が拍手をする。
この拍手という行為は、「個」の行為といえるのか。
ここで聴衆になるといえるのか。
こんなことを考えながら、(その2)で書いた映画「仮面の中のアリア」の冒頭のシーンを思い出していた。
そこでの拍手について。
オーディオによる再生音に何を求めるのかは、人によってとうぜん違ってくる。
原音追求を目指している人もいれば、そうでない人もいる。
そうでない人で、クラシックを聴く人の中には、
コンサートホールでの感動をリスニングルームで再現したい、という人もいる。
コンサートホールでの実際の音をそのまリスニングルームで再現することは、
これから先どんなに技術が進歩しようとも、まず不可能といえるし、
もし可能になったとしても、可能になる前に録音されたものも聴くわけだから、
そういうLP、CDではやはりどこまでいってもコンサートホールそのままの音の再現は、
家庭というリスニングルーム環境では無理のままだ。
そんなことはわかっているからこそ、
求めているのはコンサートホールでの音ではなく、そこでの感動であり、
それをリスニングルームで再現するのが目標である──、
これはこれでいい、と思う。
でも、私はコンサートホールでの感動をリスニングルームで再現したい、とは特に思っていないし、求めてもいない。
そんな聴き手もいるはずだ。
なにもリスニングルームで感動を得たくない、といっているのではない。
コンサートホールでの感動の再現を求めているわけではない、ということだ。
なぜ、こだわるのか、──このことも考えている。
私にラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのことで電話してきた知人は、
そこでの演奏に感動していたからこそ、わざわざ電話をくれたのだった。
あえて確認もしなかったけれど、彼はラインスドルフのモーツァルトのレクィエムが、
ケネディの葬儀の実況録音であるから感動している節があった。
彼は何に感動していたのか、とおもう。
聴いていない演奏に対してあれこれいうのは控えるべきなのは承知しているが、
それでもラインスドルフの演奏が素晴らしかった、とは私には思えない。
もちろん人には一生に一度しか演奏できないレベルの音楽を奏でられるときがあるのはわかっている。
ラインスドルフにとって、それがこの時だったかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。
聴いていないのだから、これ以上はいえない。
それでも……と思いながら、知人の話を電話越しに聞いていた。
彼は、演奏会場での感動を、リスニングルームでも得たいのか、
演奏会場での感動の共有というものをしたいのだろうか、
──私はこういったことをオーディオを介して聴く音楽に求めていないことを、
知人の話をききながら自覚していた。
指揮者のリハーサル風景をおさめたディスクがある。
これはドキュメンタリーLP、ドキュメンタリーCDと呼べよう。
その感覚からすると、ヨッフムの、鐘の音から司祭の朗読までおさめたCDを、
ドキュメンタリーCDと呼ぶことにはためらいがある。
このディスクで聴けるのは、他では聴くことのできない、いわばかけがえのない音楽だからである。
今回例としてあげた録音の中で、私がドキュメンタリーだと思っているのは、
ラインスドルフのモーツァルトのレクィエムである。
聴いてもいないディスクのことを、そう言い切ってしまうのもひどく無責任なことではあるが、
このディスクを聴いてこなかった理由は、ここにもある。
音楽のドキュメンタリーを、さして聴きたいとは思わない。
リハーサル風景をおさめたものは、好奇心から聴くけれど、
ラインスドルフの、1964年のモーツァルトのレクィエムに、そういった好奇心は私はもてない。
ケネディの葬儀でのモーツァルトのレクィエムだから、といって、
そこでの演奏が素晴らしく聴こえてくるような、そういった音楽の聴き方はしてこなかったつもりでいる。
にも関わらずヨッフムのモーツァルトのレクィエムに関しては、
鐘の音、司祭の朗読がふくれまている方を選択するのはなぜなのか、と考えるわけだ。
こんなことを考えなくとも音楽は支障なく聴ける。
それがわかっていてもなお、考えている。
ヨッフムのモーツァルトのレクィエムのふたつのCDを聴いておもうのは、
音楽におけるドキュメンタリーはどういうことなのか、である。
ドキュメンタリー(documentary)とは、
辞書には虚構によらず事実の記録に基づく作品。記録映画・記録文学など、とある。
となればライヴ録音はドキュメンタリーといえる。
ヨッフムの例でいえば、冒頭の鐘の音から、司祭の典礼の朗読まで省略せず録音し、
それをLP、CDにしたものは、ドキュメンタリーLP、ドキュメンタリーCDといえるのか。
鐘の音、司祭の朗読など、音楽以外の要素をすべて省いた(ようするに編集した)CDにした場合、
それはドキュメンタリーCDとは呼べなくなるのか。
どちらも同じ日の同じ演奏のライヴ録音である。
事実を記録したもの、それが映画であればドキュメンタリー映画といわれる。
テレビであればドキュメンタリー番組がある。
ドキュメンタリー映画にしてもドキュメンタリー番組にしても、編集をしないまま上映、放送することはない。
なんらかの手が制作者側の手によって加えられている。
それでもドキュメンタリー映画といい、ドキュメンタリー番組という。
もちろんそこには優れたドキュメンタリーか、そうでないドキュメンタリーなのか、という違いはある。
それでも編集してあるからドキュメンタリーとはいえない、とは誰もいわない。
ならばヨッフムの編集されたほうのCDもドキュメンタリーCDと呼べるのか、となる。
ヨッフムによる「レクィエム」は、ドイツ・グラモフォンから廉価CDとして出た。
ジャケットもそっけない、いかにも廉価盤と思わせるものだった。
モーツァルト生誕250年の年、ドイツ・グラモフォンからヨッフムの「レクィエム」が出た。
今回のCDは廉価盤ではなくなっていた。
冒頭の鐘の音から始まる。
オルガンによる前奏、人びとのざわめきが聴こえる。
そしてヨッフムの演奏が聴こえてくる。
この日の演奏が、通常のコンサートホールでの演奏と大きく異るのは、
途中途中に司祭による典礼の朗読がはさまっていることだ。
廉価CDでは、この典礼の朗読もすべてカットされ、
いわゆる通常のライヴ録音としてのモーツァルトのレクィエムとして編集されている。
同じ日の同じ演奏なのに、この二枚のCDを聴くと、印象の違いだけでなく、
こちら側の聴き手としての態度も同じではなくなっている。
マスタリングの違いもあるようで、二枚のCDの音はまったく同じというわけではない。
それでもおさめられているのはヨッフムの演奏であることには変わりない。
それでも「冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのする」のは、
モーツァルト生誕250年に出たCDである。
鐘の音、オルガンの前奏、人びとのざわめき──、
これらが静まった後にはじまるヨッフムの第一音は、決して同じには聴こえない。
モーツァルトのレクィエムで、もうひとつ例をあげればヨッフムの演奏がある。
モーツァルト生誕200年記念ミサでの演奏をおさめたものである。
このヨッフムの演奏は、瀬川先生の「夢の中のレクイエム」で知った。
*
もう何年も前たった一度だが、夢の中でとびきり美しいレクイエムを聴いたことがある。どこかの教会の聖堂の下で、柱の陰からミサに列席していた。「キリエ」からそれは異常な美しさに満ちていて、そのうちに私は、こんな美しい演奏ってあるだろうか、こんなに浄化された音楽があっていいのだろうかという気持になり、泪がとめどなく流れ始めたが、やがてラクリモサの終りで目がさめて、恥ずかしい話だが枕がぐっしょり濡れていた。現実の演奏で、あんなに美しい音はついに聴けないが、しかし夢の中でミサに参列したのは、おそらく、ウィーンの聖シュテファン教会でのミサの実況を収めたヨッフム盤の影響ではないかと、いまにして思う。一九五五年十二月二日の録音だからステレオではないが、モーツァルトを追悼してのミサであるだけにそれは厳粛をきわめ、冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのするすごいレコードだ。カラヤンとは別の意味で大切にしているレコードである(独アルヒーフARC3048/49)。
*
「虚構世界の狩人」におさめられているので読まれた方も多い、と思う。
この「レクィエム」を聴きたい、と読んでいて思っていた。
にもかかわらずアナログディスクで買わなかったのは、
私が上京したときにはすでに廃盤になっていたのか──、
私がヨッフムのこの「レクィエム」のディスクを買ったのはCDになってからだった。
そのときのCDはヨッフムによる演奏だけをおさめたもので、冒頭の鐘の音はカットされていた。
瀬川先生が聴かれたヨッフムの演奏をそのまま収録したCDの発売は、またなければならなかった。
「西方の音」の中に「死と音楽」がある。
五味先生は書かれている、ラインスドルフのモーツァルトのレクィエムについて。
*
ケネディが死んだとき、葬儀がモーツァルトの『レクィエム』で終始したのは知られた話だが、この時の実況レコードがビクターから出ている。ラインスドルフの指揮でオケはボストン交響管弦楽団だった、といった解説がこれほど無意味なレコードも珍しい。葬儀の厳粛さは、ケネディが大統領だったことにそれ程深い関わりはあるまい。ましてそれが暗殺された人だった暗さは、この大ミサの荘厳感の中ではおのずと洗われていた。しかし、夫を喪った妻ジャクリーヌの痛哭と嘆きは、葬儀のどんな荘厳感にも洗われ去ることはない。当日の葬儀には数千人の参拝者が集まったそうだが、深いかなしみで葬儀に列し、儀式一切を取りしきっていたのはジャクリーヌという女性ただ一人だ。ケネディを弔うためのレクィエムではなく、彼女のための鎮魂曲だった。私はそう思ってこのレコードを聴いてきた。
こんど、私がレクィエムをもとめねばならぬ立場になって、さとったことは、右の実況録音のレコードは妻ジャクリーヌのためだけのものであり、これを商品化し、売り出すことの冒瀆についてである。たしかに、売り出すことで葬儀に参列せぬ大勢の人は、たとえば私のように彼女の胸中をおもい、同情し、ケネディの冥福を祈りはするだろう。しかしそれがケネディ自身にとって一体何なのか。彼女の身にとっても。死者を弔う最も大事なことをアメリカ人は間違っている。私の立場でこれは言える。レクィエムを盛大にするのは当然なことだ。録音して永く記念するのもいい。当日の参列者がこのレコードを家蔵するなら微笑ましいだろう。しかし、何も世界に向って売り出すことはない。死者を弔うとは、のこされた妻のかなしみに同情の涙を流すことなどであるわけはないが、その業績を褒め称えることが、未亡人へのいたわりになるなら、飼い猫に死なれた人にあれは可愛い猫でしたと褒めるよそよそしさと、どれだけ違うか。しかも、死者に対し、その遺族への思いやりを示す以外の弔い方など本当はあるわけはないのである。葬儀の実況レコードを売って、その利益金で家族を補助しようというなら話は別である。世の中はもう少し辛辣にできている。そういう補助の必要ない大統領のレコードだから、売れる。けっきょく、アメリカ人はケネディを暗殺したことで間違い、未亡人をいたわることでもさらに大きな誤りを犯した。アメリカという国は、モーツァルトのこの『レクィエム』一枚をとってみても誤謬の上を突っ走っている国だとわかる。
*
ラインスドルフのモーツァルトのレクィエムも、だからライヴ録音である。
私は「死と音楽」をハタチのころには読んでいたから、
いまにいたるまでラインスドルフの、この実況録音は聴いていない。
おそらく聴くことはない。
数年前に、この録音のことで電話してきた知人がいる。
このときの実況録音はいまもCDで入手できる。
このCDのことを、すごいCDを見つけた、という感じで知人は話してくれた。
かるく興奮しているのは電話越しにもわかった。
私は彼に「知っている」と答え、聴くつもりはない、とつけ加えた。
五味先生が書かれているのを読んでいないのか、とも、
「西方の音」を読んでいる、という彼に言った。
バーンスタインのライヴ録音といえば、1961年のグレン・グールドとのブラームスのピアノ協奏曲がある。
このディスクが出る以前から、バーンスタインとグールドのテンポの解釈の相違があり、
バーンスタインが演奏前に、今回はしぶしぶグールドのテンポに従う、といった旨を話した──、
そのことだけが伝わってきていた。
だから、このディスクには、バーンスタインのその部分も収録されている。
英語で話しているわけだが、ライナーノートには邦訳がついていてた。
それを読んでもわかるし、それがなくともバーンスタインの口調からも、
決してしぶしぶグールドのテンポにしたがったわけではないことは伝わってくる。
一部歪曲された話が伝わり広まっていたことが、このディスクの登場ではっきりした。
ブルーノ・ワルター協会から、このディスクが発売される時、
このバーンスタインのコメントがことさら話題になっていた。
もしこのライヴ録音が、バーンスタインのコメントを収録せずに、
バーンスタインがそういったことを話したことを知らない聴き手が聴くのと、
前説が収録されたディスクを、そういったことを承知している聴き手が聴くのとでは、
このライヴ録音のドキュメンタリーの意味合いはかなり違ってくるだろう。
ライヴ録音におけるドキュメンタリーについて考えていくと、いくつかのレコードのことが浮んでくる。
たとえばラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのことも。
レナード・バーンスタインがドイツ・グラモフォンから1980年に出したベートーヴェンの交響曲全集は、
ライヴ録音ということも話題になった。
このライヴ録音については「バーンスタインのベートーヴェン全集(その7)」でふれているのでくり返さないが、
一般的なライヴ録音とは違っている。
バーンスタインのベートーヴェンの「第九」には、もうひとつ、ライヴ録音がある。
1989年12月25日に、東ベルリンのシャウシュピールハウスで、
ベルリンの壁崩壊を記念して行ったコンサートをおさめたライヴ録音である。
オーケストラはバイエルン放送交響楽団とドレスデン・シュターツカペレの合同を主として、
ニューヨークフィハーモニー、ロンドン交響楽団、レニングラード・キーロフ劇場オーケストラ、
パリ管弦楽団といったオーケストラのメンバーも加わってのものだ。
このふたつのバーンスタインの「第九」の意味合いは同じとはいえない。
1979年のウィーンフィルハーモニーとの「第九」は、
録音のために聴衆が集められてのライヴ録音であり、
いわばスタジオからコンサートホールに場所を移して、聴衆をいれての公開スタジオ録音ともいえる。
1989年の混成オーケストラによる「第九」は、文字通りのライヴ録音であり、
演奏終了後の拍手だけでなく、開始前の拍手もCDでは聴ける。
つまり、1989年のバーンスタインの「第九」は、通常の音楽CDとは少し違う側面もある。
「第九」の終楽章のFreude(歓喜)をFreiheit(自由)に変えている点からして、
1979年の「第九」よりドキュメンタリーとしての側面が色濃くなっている、ともいえよう。
そういう録音をおさめたCDだから、
輸入盤には、ベルリンの壁のカケラがついてくるヴァージョンもあった。