音楽をオーディオを介して聴いていると、
ふと、他に誰もいないのではないか、という錯覚に似た気持になることがある。
スピーカーから鳴っている音楽を演奏している人がいる。
そして、それをスピーカーの前で聴いている私がいる。
この二人以外、誰も世の中に存在していない──、
わずかな時間ではあるのだが、そう感じる、というよりも、
それに気づくことがある。
気づく、というのも変な表現だ。
実際に、外に出れば人は誰かしらいるし、
隣近所の建物には誰かが住んでいるわけなのだから。
東京のように人口密度が高い都市では、隣の家との距離も近い。
半径百メートルにどれだけ多くの人が住んでいるのか。
にも関らず、いま独りだ、と気づくことが、
スピーカーからの音楽を聴いていて、ときどきある。
この気づく瞬間が好きなのかもしれない。
この気づく瞬間があるからこそ、ながくオーディオをやってきているのかもしれない。
昨日もあった。
昨日は、野上さんのところで、野上さんと聴いていての気づきだった。
野上さんが私の前にいて、音楽を聴いている。
独りだ、と気づいたし、あっ、独りと独りだ、とも気づいた。
野上さんのところは線路から近い。
電車の走る音によって、
そうだ、野上さんの家の周りには、多くの人が歩いていたり、話していたり、
テレビを見ていたりしているわけだ。
電車の音も、聞こえていたはずなのに、
電車の音に気づくのもけっこうな時間が経っていた。
その電車には多くの人が乗っている時間帯なのに、
なんだか誰も乗っていない電車が走っている感じもしていた。