毅然として……(その13)
ヨッフムのモーツァルトのレクィエムのふたつのCDを聴いておもうのは、
音楽におけるドキュメンタリーはどういうことなのか、である。
ドキュメンタリー(documentary)とは、
辞書には虚構によらず事実の記録に基づく作品。記録映画・記録文学など、とある。
となればライヴ録音はドキュメンタリーといえる。
ヨッフムの例でいえば、冒頭の鐘の音から、司祭の典礼の朗読まで省略せず録音し、
それをLP、CDにしたものは、ドキュメンタリーLP、ドキュメンタリーCDといえるのか。
鐘の音、司祭の朗読など、音楽以外の要素をすべて省いた(ようするに編集した)CDにした場合、
それはドキュメンタリーCDとは呼べなくなるのか。
どちらも同じ日の同じ演奏のライヴ録音である。
事実を記録したもの、それが映画であればドキュメンタリー映画といわれる。
テレビであればドキュメンタリー番組がある。
ドキュメンタリー映画にしてもドキュメンタリー番組にしても、編集をしないまま上映、放送することはない。
なんらかの手が制作者側の手によって加えられている。
それでもドキュメンタリー映画といい、ドキュメンタリー番組という。
もちろんそこには優れたドキュメンタリーか、そうでないドキュメンタリーなのか、という違いはある。
それでも編集してあるからドキュメンタリーとはいえない、とは誰もいわない。
ならばヨッフムの編集されたほうのCDもドキュメンタリーCDと呼べるのか、となる。