Date: 6月 25th, 2014
Cate: 孤独、孤高
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毅然として……(その13)

ヨッフムのモーツァルトのレクィエムのふたつのCDを聴いておもうのは、
音楽におけるドキュメンタリーはどういうことなのか、である。

ドキュメンタリー(documentary)とは、
辞書には虚構によらず事実の記録に基づく作品。記録映画・記録文学など、とある。

となればライヴ録音はドキュメンタリーといえる。
ヨッフムの例でいえば、冒頭の鐘の音から、司祭の典礼の朗読まで省略せず録音し、
それをLP、CDにしたものは、ドキュメンタリーLP、ドキュメンタリーCDといえるのか。

鐘の音、司祭の朗読など、音楽以外の要素をすべて省いた(ようするに編集した)CDにした場合、
それはドキュメンタリーCDとは呼べなくなるのか。

どちらも同じ日の同じ演奏のライヴ録音である。

事実を記録したもの、それが映画であればドキュメンタリー映画といわれる。
テレビであればドキュメンタリー番組がある。

ドキュメンタリー映画にしてもドキュメンタリー番組にしても、編集をしないまま上映、放送することはない。
なんらかの手が制作者側の手によって加えられている。
それでもドキュメンタリー映画といい、ドキュメンタリー番組という。

もちろんそこには優れたドキュメンタリーか、そうでないドキュメンタリーなのか、という違いはある。
それでも編集してあるからドキュメンタリーとはいえない、とは誰もいわない。

ならばヨッフムの編集されたほうのCDもドキュメンタリーCDと呼べるのか、となる。

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