オリジナルとは(想いとの関係性)
1981年、ステレオサウンド編集部宛に手紙を何度も書いては送っていた。
やってほしい企画を、思いつくかぎり書いては送っていた。
この手紙を、面白いやつがいる、と思ってくれた人がいたから、ステレオサウンド編集部で働くようになった。
1981年のことだから、紙に手書き。それを送っていたのだから、私の手元には何も残っていない。
それが手紙というものだ。
1997年からインターネットをやるようになって、友人と電子メールでやりとりするようになった。
最初は気づかなかった、というよりも意識していなかったのだが、
電子メールは送信したメールも、パソコンの中に残っている。
そのことを当たり前のように受け止めていたのだが、ふと、私のところに残っている、この送信メールはオリジナルなのか。
そんな疑問がわいてきた。
理屈では残っているメールがオリジナルで、送信したのは、そのコピーである。
けれど、ここに、なんらかの想いが絡んでくると、本当にそうなのか、とも思えてくる。
なんらかの想いを込めて送信したメールこそがオリジナルであって、
パソコンなりスマートフォンの中に記録されている送信済メールは、
コピーでしかない(事務的なメールを、そんなふうに感じたことはない)。
いつのころからか、あっ、送ったメールのコピーが残っている──、そんなふうに思うようになった。