audio teach-in(その7)
適切な技術書や解説の文章があって、
それをきちんと理解するために生成AIを利用するのは、いい使い方だと思う。
オーディオにおける生成AIを全否定はしない。使い方次第、使い手次第な面はあるけれどもだ。
使い手次第なのだ。
オーディオ雑誌でのベストバイ的なもの、賞、そういった記事が載った号が売れるのは、
いくつかの理由があろうが、大きな理由として、自分が使っているオーディオ機器が選ばれている──、
このことによる間接的な承認欲求が満たされるからではないのか。
生成AIは、間接的な承認欲求ではなくて、直接的な承認欲求をも満たしてくれる。
そういう使い方をすれば、であるのだが、そんなことをやって何が楽しいのか、嬉しいのか、と私は思うけれど、
世の中は人さまざまなのだから、生成AIによる承認欲求を必要とする人もいるのだろう。
このことも、その人がそれで良ければ、第三者がとやかくいうことではない、と思いつつも、
こわいのは、そうやって生成AIとの会話を重ねることで、聴かずに音の判断をくだしてしまう愚かさをやってしまうことだ。
この項で触れている人は、ある方式と別の方式との比較を生成AIに訊ねている。
そして、ある方式は聴くに値しないという判断をくだした。
聴いた上で、それがたとえ十全とはいえない試聴ではあっても聴いての判断であれば、
私と全く正反対の評価であっても、そうですか、という。
けれど聴かずして判断して、そして聴く気もないと言ってくる。
生成AIに訊く前に、とにかく、その音を聴こうよ、と言いたいだけだが、もうそれすら、その人の耳には届かないようだ。
生成AIは使い手を愚かにすることもある。