2025年ショウ雑感(その5)
別項で、映画とテレビの違いについてかいているところだが、
同じことが、オーディオショウでの各ブースの音の違いについても、当てはまりそうな感じがしている。
優れたドラマを撮れるけれど、だからといって映画でいい作品の監督になれるわけではない。
向き不向きだけではない何かがあって、映画の監督、テレビの監督がいる。
オーディオショウで、いろんなブースの音を聴いてきて、いま思っているのは、
音に関しても、映画の監督的、テレビの監督的と言えるのではないか、だ。
どちらがいい音を鳴らしているのかではなく、それぞれのブースで、
不特定の人たちに聴いてもらう音を出すことに求められること。
そのことを考えていると、少なくともオーディオショウにおいては、
映画の監督的に音を鳴らす──、そんな気がしてならない。
では、それは具体的にはどういうことなのかは、今のところ、うまく説明でかないのだが、
音は儚い、だからこそ潔くなければならない。
少なくとも、オーディオショウで音を鳴らして聴いてもらうのであれば、
潔さが求められているはずだ。