Archive for 10月, 2014

Date: 10月 31st, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その3)

トリオのセラミック製のTS10も重量は1.2kgで、ぎりぎりだったが、これは26000円していた。
価格的に候補から外した(というより外れていった)。

サエクかジュエルトーンか。
サエクのSS300は16500円、ジュエルトーンのGL602Jは10000円。
どちらもなんとか買える範囲の価格。

ただサエクのSS300はレコードのレーベルが接触するところにネジ穴が切ってあった。
なんのためのネジ穴かというと、レコードのレーベルに穴を開けて、
レコードをSS300にネジ止めするためのものだった。

SS300を買っても、このネジ穴を使わなければそれで済む話だろうか。
レコードに穴を開ける。それがレーベル面であろうと、そういうことを考えるメーカーのシートを買ってしまったら、
レコードそのものがひどく傷つくような気もしたし、
そんな発想をしてしまうメーカーの製品は買いたくない、というのが強かった。

GL602Jを買おう、と決めていた。
10000円で1kg。価格、重量ともに問題はない。

ゴムや革とは違い、この手の硬質な素材のシートではレコードが傷つきやすくなるのでは、と危惧する人はいた。
私も考えた。
けれど軟らかい素材のシートでも、シート上にホコリがあり、
レコードをその上でスリップさせてしまえば、レコードは傷ついてしまう。
シートが硬いか軟らかいではなく、シートをどれだけきれいにしているか、それとレコードの扱い方である。

このころすでにマイクロの糸ドライヴRX5000+RY5500は登場していた。
RX5000は砲金製のターンテーブルプラッターに、直にレコードを置く。
マイクロという、アナログプレーヤー専門メーカーから、こういう仕様のプレーヤーが出ていたことも、
私の考え方が間違ってないことを裏付けてくれた。

だがGL602Jは、結局買わなかった。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その2)

アナログプレーヤー関連のアクセサリーの価格は、ひとつひとつはそれほど高価でなくとも、
あれこれ買っているとそこそこの金額になってしまう。
ならば、アクセサリーに使う分を貯めておいて、
アナログプレーヤーそのものをグレードアップするという考えもある。

それはわかってはいた。
けれど実際にグレードアップした、という手応えが得られるのは、
いま使用している機器の価格の倍程度のモノまでいかなければならない。
五万円のアナログプレーヤーを使っているのならば、
次のステップとしては十万円クラスのモノということになる。

ここで六万円のプレーヤーを買ったところで、音の違いはあっても格の違いはまず得られない。
それにアクセサリーをあれこれ使ってみることで得られることもある、ということで、
カタログを見ては、次はこれにしよう、か、あれにしようか、と迷っていた。

1970年代の終りには、アナログプレーヤーの音に関係してのことがらがオーディオ雑誌の誌面をにぎわしていた。
慣性質量を増すのが効果的とも書く雑誌(オーディオ評論家)もいた。
ただし普及クラスのダイレクトドライヴ型は軸受けが弱いので、それほど重量化は無理だともいわれていた。

それでもできる範囲で試してみたい。
当時すでにゴム以外の素材のターンテーブルシートが登場していた。
鉛もあったし、セラミック、大理石、銅、ステンレス、ガラス、特殊金属などもあった。
これらが、それまで一般的だったゴムシート、セーム革などの軟らかい素材に対して、硬い素材のシートだった。

硬い素材のシートは、軟らかい素材のシートよりも比重があり、重量もある。
大理石、ステンレスのシートは3kg超えていた、銅のシートも1.8kgあった。
普及クラスのプレーヤーを使っていたので、これではあまりにも重すぎる、と判断した。
1kgが上限のような気がしていた(とくに根拠はなかった)。

サエクのSS300(特殊金属、870g)とジュエルトーンのGL602J(クリスタルグラス、1kg)が条件に合っていた。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: 情景

情報・情景・情操(8Kを観て・その5)

テレビのいいモノは欲しい、という気持はいつもどこかにある。
FORIS.TVは、だから欲しい、と思った。サイズも私が思うテレビのサイズにぴたりとあう。

私が住いに欲しいと思うのは、あくまでもテレビであり、
100インチをこえるスクリーンを設置して──、というのは感覚としてテレビではなくなる。

そんな私が8Kはすごい、と思っているし、
心底すごいと思っているからこそ、ホームシアターにはほとんど関心のない私が、
いままここにこうして書いているわけである。

8Kを観て、感じたのは、いままでいかに情報量が不足していたのか、ということだった。
相当に不足している状態で、4Kはきれいだ、とか、あれこれいっている。

私は8Kで初めて、必要な情報量が提供されるようになった、と感じている。
だからこそ8Kはすごい、と思うし、8Kが4Kと決定的に異るのは、この点ではないのか。

私は映像の専門家ではないし、知識も素人レベルである。
はっきりしたことは何もいえないけれど、8Kのレベルに達して、
人に必要な情報量について語れるようになるのではないか、と思う。

それまではいかにも不足しすぎていた。
そんな状況でどんぐりの背比べをやっていたようなものだ。

8K以上の情報量が必要なのかは、8K以上のモノが登場してみたいことにはなんともいえない。
16Kがいつ登場するのか、その予測は出来ない。
けれど16Kまではこの目で観たい。

16Kを観て、8Kでもまだ情報量が足りない、ということになるのか、
それとも8Kから上になると、そう大きな違いは生じないのか。

そして、もうひとつ思っているのは、音の情報量に関してだ。
いまわれわれは情報量ということばを、20年前、30年前よりも多く使っている。
ハイレゾ(ハイ・レゾリューションのひどい略し方だ)という言葉も定着してきつつある。

そこに収められる情報量は確実に増している。
けれど、いまのオーディオのレベルは、8Kと同等なのか、それとも4K程度なのか、もっと下なのか。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その9)

なぜ木は腐ることがあるのか。
木という素材が呼吸をする素材であるからで、
そのため湿気の多過ぎる環境下では腐っていく。

CRAFT-α9000の振動板に採用されたαウッドは、通常の木が腐ってしまう環境下でも腐らないのだろう。
つまりαウッドは呼吸をしない素材ではないのか。
その意味で、井上先生は「それは、もう木じゃないね」といわれた。

羽二重=HUBTAEの発表会での川崎先生の話の中に、ナイロンのことが出てきた。
ここでも「呼吸しない素材」ということだった。
最新のナイロンはそうではない、ということだった。

呼吸をしている素材だから、場合によっては腐ることもある。
腐るということは素材としての死であり、ならば呼吸をしているということは、素材として生きている──、
そう受けとめることもできる。

いかなる環境下でも腐らない、というのは呼吸をしていない、ということになり、
ならばその木は防腐処理をされた死んだ状態(つまりは生きていない状態)ともいえるわけだ。

生きていない状態の素材でも、それが役に立つこと(箇所)はあるだろう。
だが、オーディオの、それもスピーカーの振動板となると、
本来生きている状態の素材を生きていない状態にしてしまって使うことに、どれだけのメリットがあるといえるのか。

井上先生が話されたことは、そういうことだった。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その48)

ステレオサウンド 50号を手にした時(まだ高校生だった)、
前号の企画をそのまま旧製品を対象にしただけの、すこし安易な企画だな、と思ってしまった。

安易ではあるけれど、面白いと思いながら読んでいた。そして読み返していた。
本づくりを経験したことのない、しかも学生の私に、こう受けとめていた。

けれどいまは、むしろ50号の旧製品のState of the Art賞が先にあり、
この企画をやりたいがために49号での現行製品のState of the Art賞をやった──、
そうとも考えられるくらいに見方が変っている。

旧製品のState of the Art賞は、それまでのステレオサウンドがやってきたことを総括する企画だった。
ただ記事で旧製品をとりあげるのではなく、State of the Art賞を与える。

用意周到だったのか、それともたまたまやったことがそう見えるだけなのか、
ほんとうのところはわからないが、State of the Art賞を始める時期、49号と50号、
用意周到な企画のように思う。

“State of the Art”というセンテンスが定着しなかったこと以外は、State of the Art賞はうまくいった。
けれど”State of the Art”というセンテンスが読者に定着しなかったこと、
さらにはオーディオ業界の人たちのあいだでも定着しなかったことが、
State of the Art賞から始まった「賞」のいくつものところを変質させていくことになる。

現在のStereo Sound Grand Prixになって、変質は決定的となった、と私は感じている。
State of the ArtからStereo Sound Grand Prixへ。
あまりにも変り果てた。

でも、嘆きたくなるのは、State of the Art賞を知っているからであって、
State of the Art賞(49号、50号)を知らない世代にとっては、
なんとおおげさな……、ということになろう。

State of the ArtとStereo Sound Grand Prix、
賞の名称からして、志がまるで違う。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その4)

1983年にステレオサウンドからTHE BRITISH SOUNDという別冊が出た。
この本に岡先生によるBBCモニター物語という記事がある。
この中で、岡先生が書かれている。
《BBCモニターのことを書くべき最適任者は、故瀬川冬樹さんだったと思う》と。
BBCモニターに関心のある人の多く(すべてといっていい)が、首肯いたことだろう。

瀬川先生によるBBCモニター物語、
きっと瀬川先生自身も書きたいと思われていただろうだけに、
読みたかった……、という気持は募る。

岡先生はBBCモニター物語を書くにあたり、
ステレオサウンド編集部から、瀬川先生が渡英の際に入手されたいくつかの資料を借覧されている。

その瀬川資料の中に、BBCモニターの型番のクラシフィケーションの説明があり、
その資料を元に岡先生がLSナンバーの区分について書かれている。
     *
●LS1/ アッセンブルされたラウドスピーカーで、用途は種主あるが主力にはなっていない(現用正式モデルではない)。
●LS2/ シャーシ・ユニットのみのもの。
●LS3/ アッセンブルされたスピーカー(主として外録その他に使用される。可搬性をもつ小型のもの)。
●LS5/ アッセンブルされたスピーカー(スタジオ用)。
 将来は、LS1/、LS2/、LS5/のクラシフィケーションを用いることになり、外録用のLS3/シリーズもLS5/のコード番号のなかに組み込まれることになる、という注記がある。
     *
LS5/9は20cm口径のウーファーとソフトドーム型トゥイーター、
エンクロージュアの外形寸法はW36.0×H55.0×D36.0cm。
本来ならばLS3/8という型番がついても不思議ではないし、
むしろ、その方が、このスピーカーシステムの性格をはっきりとさせると思うのだが、
岡先生が書かれているとおり、LS3/シリーズはLS5/シリーズに組み込まれたことがわかる。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その1)

私がオーディオを始めたころはCDはなかった。
当然プログラムソースのメインはアナログディスク(LP)ということになる。
カセットデッキも持っていたけれど、あくまでも補助的な存在であった。
あれば便利な機器という印象が私の場合、最後まで拭えずそれほど真剣に取り組んでいたとはいえない。

アナログプレーヤーに関しては、これが唯一のメインなのだから、
それに当時はプレーヤー関連のアクセサリーが各社からいくつも出ていた。
値段も、当時高校生だった私にも、それほど無理せずとも買える範囲のモノが大半だった。

シェルリード線が各社から出始めていた。
ヘッドシェルも各社から出ていた。素材もアルミだけでなく、いくつかの種類が用意されていた。
カートリッジをヘッドシェルに取り付けるネジも、ヘッドシェルやカートリッジ附属してくるのはアルミ製だったが、
ここでも音が変化するということで真鍮製も発売されていた。

ヘッドシェルは音だけでなく、見た目も重要だったし、
それ以上に指掛けの形状が操作面に大きく関係してくることを実感できるようになると、
自分の感覚に添うヘッドシェルを探すようになってくる。

ヘッドシェルもいくつか試した、シェルリード線も、真鍮製のビスも買った。
このへんはカートリッジ関連のアクセサリーとなる。

アナログプレーヤーのアクセサリーは、ターンテーブル関連のアクセサリーもあれこれあった。
ターンテーブルシート、スタビライザーなどである。
これらももちろん買っていた。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: BBCモニター, PM510, Rogers

BBCモニター、復権か(その3)

PM510をいいスピーカーと認めている人は確かに少ない。
それでもいいじゃないか、と思うのだが、
PM510をいいスピーカーとしながらも、PM510IIを改良型として高く評価している人をみると、
この人が感じているPM510の良さと私が感じているPM510の良さは違っているんだな、と思ってしまう。

PM510はロジャースのLS5/8の内蔵ネットワーク版である。
LS5/8は型番が示すようにBBCモニターであり、
QUADのパワーアンプ405にデヴァイディングネットワークを内蔵しバイアンプ駆動するというシステム。
ユニット構成、エンクロージュアはLS5/8、PM510は同じである。

このLS5/8はロジャース(スイストーン)が買収した会社チャートウェルが開発したモノだ。
チャートウェル時代の型番はPM450E(LS5/8)、PM450(PM510)だった。
もちろんチャートウェルのLS5/8も存在している。

ロジャース製とチャートウェル製は、若干音のニュアンスが違う、といわれている。
そうだろう。
同じ規格で作られているLS3/5Aが、各社、音のニュアンスが微妙に違うのと同じである。
チャートウェル製も聴きたいという気持はあるけれど、
ロジャースのPM510に惚れ込んでいたのだから、
どちらがいいのかを判断するようなことは、いまではどうでもよくなっている。

ロジャースからはLS5/8に続いて、中型モニターのLS5/9が登場する。
ちょうどステレオサウンドにいたころだった。
聴く機会は何度もあった。

でもLS5/8とLS3/5Aの間に位置するサイズ。
このサイズにした理由をついあれこれ考えてしまうくらいに、
私には中途半端な大きさに思えたし、そうなると出て来た音もなんとなくそう感じられてしまう。

でもPM510の低音をぶよぶよじゃないか、という人はLS5/9の方を高く評価していた。

Date: 10月 31st, 2014
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その2)

ロジャースのPM510はいいスピーカーだ。
けれど改良型にあたるPM510IIは、少しもいいとは思えなかった。

PM510の低音はぶよぶよじゃないか、という人たちは、PM510IIの方がずっといい、といっていた。
だが締っている低音が優れた低音ではないし、表現力豊かな低音でもない。
私が聴きたい音楽にとって、PM510の低音は不満となることはなかった。

PM510IIは中途半端に感じてしまう。
PM510の良さが、もう感じられなかった。

PM510IIが、他のスピーカーシステムの改良型であれば、もう少し認めることもできると思うのだが、
惚れ込んだスピーカーシステムの改良型として登場して、
惚れ込んだ男に愛想をつかしてしまう出来のモノを認めることはできない。

今年二月に、ある人のリスニングルームを訪れた。
メインのスピーカーシステムはアメリカ製のモノ。
だが部屋の片隅にPM510が置いてあった。
PM510IIではなく、PM510である。

こればかりは手離せない、ということだった。
その気持はよくわかる。

瀬川先生が《心から「欲しい」》と思われたスピーカーシステムとしての良さは、
PM510にあり、PM510IIにはないと言い切れる。

Date: 10月 30th, 2014
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その1)

LSナンバーをもつ、いわゆるBBCモニターが商品化、市販されるようになったのは1970年代からである。
LS3/5Aは最初はロジャース製だけだったが、
チャートウェル、ハーベス、KEF、オーディオマスターからもLS3/5Aが登場した。
これがBBCモニターの全盛だったようだ。

LSナンバーのBBCモニターは、LS5/9を最後に途絶えてしまった。
BBCモニター、BBCモニターの流れを汲むスピーカーシステムに惹かれてきた私は、寂しい思いをしていた。

LS3/5Aはいまでも人気である。
けれど日本ではBBCモニターの人気が高かった、とは思えない。
むしろ低い。

瀬川先生も嘆かれていた。
私の手元には瀬川先生のメモがある。
その中にロジャースのPM510について書かれたものがある。
三年前にも書いているが、もう一度書いておく。
     *
◎どうしてもっと話題にならないのだろう、と、ふしぎに思う製品がある。最近の例でいえばPM510。
◎くいものや、その他にたとえたほうが色がつく
◎だが、これほど良いスピーカーは、JBLの♯4343みたいに、向う三軒両隣まで普及しない方が、PM510をほんとうに愛する人間には嬉しくもある。だから、このスピーカーの良さを、あんまりしられたくないという気持もある。

◎JBLの♯4345を借りて聴きはじめている。♯4343よりすごーく改良されている(その理由を長々と書く)けれど、そうしてまた2歩も3歩も完成に近づいたJBLを聴きふけってゆくにつれて、改めて、JBLでは(そしてアメリカのスピーカーでは)絶対に鳴らせない音味というものがあることを思い知らされる。
◎そこに思い至って、若さの中で改めて、Rogers PM510を、心から「欲しい」と思いはじめた。
◎いうまでもなく510の原形はLS5/8、その原形のLS5/1Aは持っている。宝ものとして大切に聴いている。それにもかかわらずPM510を「欲しい!!」と思わせるものは、一体、何か?

◎前歴が刻まれる!
     *
一部、判読困難な文字がいくつかあり、数カ所、書き間違えているかもしれないが、
瀬川先生がPM510をどう思われていたのか、そして日本でのPM510の評価も知ることはできる。

私もPM510には惚れ込んだ、だから、このスピーカーシステムも相当に無理して買った。

Date: 10月 30th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その47・余談)

ステレオサウンド 50号の表紙、
マッキントッシュのMC275は、おそらく原田勲氏所有のモノだと思う。

51号、五味先生のオーディオ巡礼、
登場しているのはH氏。ヴァイタヴォックスCN191を鳴らされていた。
H氏は原田勲氏だ。

51号のオーディオ巡礼に、パワーアンプをMC275からマランツのModel 9にした、とある。
新しいリスニングルームを増築して一年半の間に、アンプを、プレーヤーを変えた、とある。

いつなのか、正確な時期ははっきりしないが、
それでも50号の表紙のMC275は原田勲氏のモノであったMC275のはず、
私はそう思っている。

Model 9は、「或るアンプの達人に修理・調整してもらった」とある。
或るアンプの達人とは、長島先生のことだろう。

こういうことを知らなくても、気づかなくても、ステレオサウンドは読める。
支障なく読める。
でも気づくかどうかで、趣は違ってくる。

Date: 10月 30th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(ヘッドフォン祭・補足)

一昨日と今日、仕事であった人に
「中野サンプラザでヘッドフォンのイベント、やってたんですよね、おもしいろんですか」といわれた。

ふたりともオーディオには関心のない人。
ヘッドフォン祭がどういう催しなのかも知らないけれど、
開催日時もはっきりと知らなくとも、場所とヘッドフォン関係のイベントということだけは知っていた。

ふたりともインターナショナルオーディオショウ、オーディオ・ホームシアター展、
ハイエンドオーディオショウについては、何も知らなかった。

しかも、このうちのひとりはインターナショナルオーディオショウの初日、
インターFMでピーター・バラカンの番組を聞いている。
私は聞いていなかったのだが、番組内でインターナショナルオーディオショウの開催を告知していた、とのこと。

オーディオが関心外なのか、耳に入ってきていたはずなのに、
インターナショナルオーディオショウのことは記憶に残っていない。
そういう人が、ヘッドフォン祭のことを断片的とは知っている、ということは、考えさせられる。

サンプル数はふたりなのだから、たまたまだろう、ということで片付けられることでもある。
でも、私のまわりにふたりいたということは、もっといると思って間違いない。

ヘッドフォン祭が始ったのはいつからなのかは知らないが、
インターナショナルオーディオショウ、オーディオ・ホームシアター展よりも、最近のことである。

もしヘッドフォン祭が、ヘッドオーディオ祭だったら、どうだったのかとも思っている。

Date: 10月 30th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その47)

ステレオサウンド 50号のころは読者だった。
そのころのステレオサウンドの表紙に何を撮るのか、
おそらく決めていたのは原田編集長だったと思う。

その原田編集長が、3号で表紙を飾ったMC275を、50号という記念号の表紙にふたたびもってくる。
そのころは思いもしなかったけれど、編集経験を経てから思うのは、
50号の企画は前々から考え企画していたのではないか、ということ。

State of the Art賞という企画をいつごろ思いつかれたのかはわからないが、
当時耳慣れない”State of the Art”を根づかせるためにも、
二号続けてやる、ということも考えつかれたのではないか。

State of the Art賞を現行製品と旧製品で行う。
旧製品のState of the Art賞はやるには50号がぴったりである。
ならば現行製品のState of the Art賞は、一号前の49号ということになる。

そうして49号、50号とState of the Art賞が続いた。
これで、ステレオサウンドのState of the Art賞というものが確立した、といってもいい。

ステレオサウンドとステレオサウンドのメイン筆者の人たちが考える”State of the Art”とは、
どういうことなのか、どういうモノなのかが、はっきりと読み手側に伝わってきた。

“State of the Art”のうまい和訳が思いつかなくとも、
“State of the Art”が意味しているところは、
49号と50号で選ばれているオーディオ機器が語ってくれていたからこそ、読み手は理解できた。

賞というのは権威がやはり必要である。
ステレオサウンドは見事にそれをやった。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(ウィルソン・ブライアン・キイの著書・その1)

新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。つまり初期の時代、あるいは、少し前までは、海外の新製品、そして国産の高級機の新製品などは、東京とか大阪のごく一部の場所でしか一般のユーザーは手にふれることができなかったわけで、したがって「ステレオサウンド」のテストリポートは、現実の新製品知識を仕入れるニュースソースでもありえたわけです。
 ところが現在では、そういった新製品を置いている販売店が、各地に急激にふえたので、ほとんどだれもが、かんたんに目にしたり、手にふれてみたりすることができます。「ステレオサウンド」に紹介されるよりも前に、ユーザーが実際の音を耳にしているということは、けっして珍しくはないわけですね。
 そういう状況になっているから、もちろんこれは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。
     *
初めて読む人は、つい最近の発言かな、と思われたかもしれない。
これが載っているのはステレオサウンド 50号巻頭の座談会。
1979年の瀬川先生の発言である。
35年前のことが、いまを表している。

35年前よりもオーディオの最新情報はもっと氾濫している。
ここまで氾濫する世の中になるとは、瀬川先生も驚かれるはず。
スマートフォンを一台持っていれば、
いつでもどこからでもオーディオの最新情報(何も最新情報だけではなくうんと古い情報も)が得られる。

最近、頭から離れないのがウィルソン・ブライアン・キイの著書のタイトルだ。
一冊は「メディア・セックス」、もう一冊は「メディア・レイプ」。

本の内容よりも、タイトルが何度も浮んできている。

Date: 10月 29th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その46)

ステレオサウンドのState of the Art賞は49号から始まっている。
なぜ49号からだったのか。
それは50号のひとつの前の号だからである。

50号の表紙はマッキントッシュのMC275。
すでに製造中止になっているパワーアンプが表紙になっている。
MC275は、3号の表紙も飾っている。

ひとつの機種が、二回登場することは例がなかった。
33号と34号のプリメインアンプの特集ということで、
プリメインアンプが表紙になっている。

この二冊を見ると、仕上げが違うだけの同じアンプが続けて表紙になっているようにみえる。
どちらもアンプもケンブリッジオーディオの製品で、33号がP140Xで、34号がP70X。
このふたつのプリメインアンプはフロントパネルは仕上げが違うだけで同じである。
そういう例はあったけれど、M275だけが、表紙に二回登場した唯一の例である。

なぜ50号はMC275だったのか。
ここで思い出してほしい文章がある。
瀬川先生がステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」マッキントッシュ号に書かれたものだ。
     *
テストの最終日、原田編集長がMC—275を、どこから借り出したのか抱きかかえるようにして庭先に入ってきたあのときの顔つきを、私は今でも忘れない。おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた。彼はマッキントッシュに惚れていたのだった。マッキントッシュのすばらしさを少しも知らない我々テスターどもを、今日こそ思い知らせることができる、と思ったのだろう。そして、当時までマッキントッシュを買えなかった彼が、今日こそ心ゆくまでマッキンの音を聴いてやろう、と期待に満ちていたのだろう。そうした彼の全身からにじみ出るマッキンへの愛情は、もう音を聴く前から私に伝染してしまっていた。
     *
50号の表紙をMC275に決めたのは、間違いなく原田編集長(当時)のはずだ。
瀬川先生の文章から、MC275がどういう存在だったのかは伝わってくる。