Archive for category 川崎和男

Date: 4月 6th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(四回目・その4)

藤崎圭一郎氏が講師の五回目について書いているのに、
ここで石黒浩氏が講師の四回目について書くのは、
往年の女優のモノクロ写真を十枚ほど見る機会があったからだ。
そして色と構図について、思い出していた。

別項で「音の色と構図の関係」を書いた。
まだ(その1)だけで、続きを先延ばしにしているが、
色と構図は、今年一年の、個人的なテーマである。

KK適塾以前に「音の色と構図の関係」は書いていたけれど、
四回目のときに、このことを思い出すことはなかった。

アンドロイドには色がついている。
人間に酷似しているタイプ(ジェミノイド)は、
人間と同じに色をもっている。

けれど、この色をすべて廃して、モノクロ写真のようにしてしまったら、
それを見て、人はどう感じるのだろうか、と考えてしまった。

モノクロ写真的色調のジェミノイド。
そこに独自のリアリティはあるのだろうか。

Date: 4月 3rd, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(五回目・その2)

藤崎圭一郎氏の話は、解像度と変異体ということで、
変化朝顔の写真から始まった。

変化朝顔については説明しない。
Googleで検索してみればわかることだから。

そのあとスクリーンに映し出されたのは、機動戦士ガンダムだった。
ガンダムについても説明しない。

そこでガンダムシリーズに登場するモビルスーツのいくつかが大映しされる。
ガンダムはこれまではいったい何作つくられてきたのか、
すべてを見るほどのガンダムのファンでないため知らないが、
いくつかは見ているし、けっこうハマったシリーズもある。

そのひとつが機動戦士ガンダムSEEDと機動戦士ガンダムSEED DESTINYである。
そのSEEDシリーズに登場しているモビルスーツが、スクリーンに映された。

解像度と変異体にぴったりの例であるからこそなのだが、
藤崎圭一郎氏は、SEEDシリーズを見られていたのか、と勝手に思っていた。

変化朝顔につづいてのガンダム。
首をかしげたくなる人もいたかもしれないが、
藤崎圭一郎氏と同世代(ともに1963年生れ)の私は、共感がもてるつながりである。

解像度と変異体の話をききながら、
私が思っていたのは、石森章太郎のマンガと、日本のオーディオ(製品)のことだった。

Date: 3月 30th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017が終って……

昨年度のKK適塾も、3月30日が最後だった。
今年度のKK適塾は終った。

昨年度の最後と違っていたのは、スクリーンに「最終回」という映ったことだ。
今年度のKK適塾が終っただけではない、ということだ。

多くの人がいうことがある。
「最後とわかっていれば行ったのに……」

こんなことを口にする人は、ずっと言い続けている、
「最後とわかっていれば行ったのに……」と。

Date: 3月 30th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(五回目・その1)

KK適塾 2017五回目の講師は、藤崎圭一郎氏。

藤崎圭一郎氏は、二回目(2月2日)の講師だった。
二回目と三回目は中止になった。
藤崎圭一郎氏の話は聞けないのかと思っていたら、
今回の講師、濱口秀司氏の事情で無理ということで、藤崎圭一郎氏である。

濱口秀司氏の話も面白く、興味深い。
今回も聞いてみたいとおもっていたけれど、
まだ一度も聞いていない藤崎圭一郎氏の話を、できれば聞きたいと、
中止になった時から思っていただけに、今回のKK適塾は特に待ち遠しかった。

藤崎圭一郎氏は、評論について直接離されたわけではなかったが、
四つのキーワードをもつクロスの図を使って話は、
評論そのものが、どうあるべきなのか、でもあった。

いまオーディオ評論家と自称している人たちは、
なぜKK適塾に来ないのか。
少なくともオーディオ評論家としてプロフェッショナルであろうとするならば、
今回の藤崎圭一郎氏の話は、聞き逃してはならない内容だった。

こういうことを書いたところで、誰も来ないことはわかっている。
結局、彼らはオーディオ評論家(商売屋)であって、
オーディオ評論家(職能家)でありたい、とは思っていないのだ。

Date: 3月 27th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(四回目・その3)

石黒浩氏のアンドロイドに関しての話を聞くたびに毎回思っているのは、
High Fidelity Reproduction(ハイ・フィデリティ・リプロダクション)のことだ。

日本では昔からHigh Fidelity Reproductionイコール原音再生、
もしくは限りなく原音に近い音の再生、というふうに捉えられている。

これは誤解といえる。
この点に関しては、瀬川先生がステレオサウンド 24号(1972年)、
「良い音は、良いスピーカーとは?(3)」で書かれている。
     *
それよりも、まず、ハイ・フィデリティをイコール《原音の再生》と定義してよいのだろうか。原音そっくりが、即、ハイ・フィデリティなのだろうか。
 ハイ・フィデリティを定義したM・G・スクロギイもH・F・オルソンも、そうは言っていない。彼らは口を揃えていう。ハイ・フィデリティ・リプロダクションとは「原音を直接聴いたと同じ感覚を人に与えること」である、と。要するにハイ・フィデリティとは、物理的であるよりもむしろ心理的な命題だということになる。ここは非常に重要なところだ。
     *
「原音を直接聴いたと同じ感覚を人に与えること」こそが、High Fidelity Reproductionである。
瀬川先生も書かれているように、ここは非常に重要なところだ。

昨年秋から何回にわたって波形再現について書いてきた。
波形再現を否定するつもりはないが、私がSNSで見かけた波形再現は、ひとりよがりだった。
取り組んでいる本人は、客観的に追求しているつもりてあっても、
いくつもの大事なところが抜け落ちている。

石黒浩氏の話で興味深く感じたのは、
アンドロイドの皮膚を剥ぐときの現実感について、である。
おそらく来場者のほとんどが、このところには強い関心をもたれたのではないだろうか。

皮膚を剥ぐという、現実ではほぼありえないシチュエーションでの現実感というか、
アンドロイドの人としての実在感があるということは、
オーディオマニアならば、再生音において、同様のことがあるのではないか、と思うだろうし、
思いあたることがあるはずだ。

KK適塾の終りには、質問の時間がある。
石黒浩氏にひとつ訊きたいことがあった。
でも、KK適塾での話とは直接関係のないことであり、
他の人にとってはどうでもいいことであろうから、
石黒浩氏に、オーディオマニアではないことを確かめたかったけど、しなかった。

おそらくオーディオマニアではないだろう。
けれど石黒浩氏の話をきくたびに、
この人がオーディオマニアだったら……、と思う。

Date: 3月 27th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(四回目・その2)

石黒浩氏の話に、美人は左右対称だ、ということが出た。
美男美女といわれ、テレビ、映画に登場する人の顔をみていれば、
完全な左右対称ではもちろんないが、
美男美女といわれない人と比較すれば、かなり左右対称の顔であることは、
以前から気づいている人はけっこう多いはずだ。

とはいえ、美人の定義として左右対称、そう客観的なことといえるのだろうか。
来場者からも、そのことについて質問があった。

石黒浩氏と質問者のやりとりを聞いていて私が思っていたのは、
美人イコール美しい人ではない、ということである。

美男美女でもいい、
美男が美しい男、美女が美しい女とは、私は思っていない。

美人は、左右対称の顔ということが如実にあらわしているように、
きれいな人という域でしかない。

きれいな男、きれいな女、左右対称の顔なのであって、
美しい人が左右対称の顔なのではない。

ではなぜ石黒浩氏がアンドロイドの顔を左右対称にされるのかについては、
ここでは触れない。

これは私のなかだけの定義すぎない。
美人はきれいな人であって、必ずしも美しい人というわけではない。
美人でなくとも、美しい人はいる。
少なくとも、私はそう捉えているし、主観である。

音も同じだ。
美音イコール美しい音ではない。

Date: 3月 24th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(四回目・その1)

3月23日は、KK適塾 2017の四回目だった。
2月に予定されていた二回目と三回目は中止だった。
一回目が12月22日だったから、三ヵ月ぶりのKK適塾だった。

三ヵ月のあいだに、暖かくなっていた。
桜も咲いている。
なのでずいぶんとひさしぶりの感じもしていた。

四回目の講師は、石黒浩氏。
石黒浩氏の講演はKK塾、KK適塾での二回に加えて、
2015年秋に六本木にある国際文化会館でもきいている。

石黒浩氏の話をききながら考えていたのは、
前日(22日)に書いた「ハイエンドオーディオ考を書くにあたって」だったし、
黒田先生の文章も思い出していた。

石黒浩氏のアンドロイド(人型ロボット)には、
人間に酷似しているタイプ(ジェミノイド)と、
テレノイドと呼ばれているタイプとがある。

ジェミノイドが酷似型であるために、性別や年齢、背格好など、見る人に意識させるのに対し、
テレノイドは性別も年齢も特定される外観を持たず、
見る人によって男にも女にも、子供にも大人にも見える、外観を簡略化したタイプである。

いわば観察(ジェミノイド)と想像(テレノイド)である。
このふたつのことは、これまでの石黒浩氏の話で知っていたけれど、
前日に黒田先生の文章を書き写したこともあって、
いままで以上に、このふたつのアンドロイドの対比が、
ほぼそのままオーディオの世界、音にもあてはまりそうな気がしていた。

Date: 3月 21st, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(3月30日)

グレン・グールドの演奏は「解答」だ。

「解答」だからこそ、グレン・グールドはコンサート・ドロップアウトした。

「解答」のために必要な場は、コンサートホールではなくスタジオであり、録音である──。

KK適塾を聴くことで、強くそう確信するようになった。

23日はKK適塾四回目、30日は五回目が行われる。
五回目の受付も始まっている。

Date: 2月 27th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(3月23日)

今年度のKK適塾の四回目は、3月23日に行われる。
受付が始まっている。

KK塾、KK適塾に行って毎回おもうのは、
もっとオーディオ関係者が来てほしい、ということだ。

オーディオ関係者とは、オーディオ業界の人だけを指すわけではない。
オーディオ好きの人を含めて、の意味だ。

平日の昼、時間を都合するのがたいへんな人もいよう。
それでも、オーディオ好きの人は、一度来てほしい。

四回目の講師は石黒浩郎氏である。

Date: 1月 27th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(一回目・その5)

すべてに寿命がある、といっていいのだろう。
人にもモノにも寿命がある。

オーディオ機器もそうだ。
どんなに高価で信頼性を重視、故障しないよう設計製作されたモノであっても、
乱暴な使い方をしていれば、故障を招くし、
どんなに丁寧に使ってきたとしても、いつの日か、どこかに不調をきたす。

そこを修理する。
しばらくは動作していても、またどこかが不調になる。
前回と同じ箇所のこともあるし、別の箇所のこともある。
また修理。直ってくる。

それでまたしばらく使っていると……。
そのくり返しが続くことがある。

そういう例をSNSで何例か見かけたことがある。
使っている人にとっては、そのオーディオ機器は愛機なのだろう。
これまで使ってきたことによる思い入れは、他人には理解できない。

それでもモノには寿命がある。
どんなにしっかりと修理をしてくれる人(ところ)に頼んで、
きちんとした修理がなされたとしても、そのオーディオ機器は、もう老人なのである。

寿命を延ばしたい気持。
それがPPK(ピンピンコロリ)を遠ざけてしまうような気もする。

人とモノ(オーディオ機器)とは違うのはわかっているが、
けれど、果してそれほど違うのだろうか……、とも思う。

その4)に書いた仕事関係の人のおじさん。
彼が定期的に病院で健康診断を受けていれば、癌は早い時期に発見されていた可能性はある。
その段階で手術を受けていれば、もっと長く生きていられたかもしれないが、
果して、元気であっただろうか、とも思うし、どちらがPPKなのか、とも思う。

久坂部羊氏はいくつかの例を話された。
そのことについては、ここでは書かない。誤解を招くかもしれないからだ。
生体検査について話された。
そういう可能性がある、ということだった。

だから思うのだ。
PPKには諦観が求められている、と。

Date: 1月 17th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(2月2日・補足)

今年度のKK適塾の二回目は、2月2日に行われる。
受付が始まっているが、ひとつだけ注意が必要だ。

スマートフォンから申し込む場合、Wi-Fiで接続していないと、
応募期間が過ぎています、というメッセージが出て、申し込みができない。

一回目のKK適塾、出先ということもあって、最初4G回線で接続していて、申し込めなかった。
帰宅してWi-Fiで接続して、やっと申し込めた。

今回、ある人を誘った。
その人から連絡があり、応募期限が過ぎている、と表示されて申し込めない、と。
スマートフォンからで4G回線での接続だった。
パソコンで接続したら、すんなり申し込めたそうだ。

あえてそういうふうにしているのかどうかははっきりとしないが、
もしスマートフォンで4G回線で接続していて、申し込めなかった人は、
Wi-Fiで接続するか、パソコンで申し込めば問題は生じない。

Date: 1月 17th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(一回目・その4)

久坂部羊氏は、PPKといわれた。
ピンピンコロリを略して、PPKである。

健康で病院にもかからず、ピンピンしていて、ある日突然コロリと死んでしまう。
これは理想であろう。

私も昔、そんなふうに死ねたら……、と思っていたことはある。
私の周りにも、そんなことをいっている人は何人かいる。

昔から、細く長くか太く短くか、という。
けれど細く生きることを心掛けていたからといって、ほんとうに長く生きられるのか。
太く生きている人は、ほんとうに短い人生なのだろうか。

昔、山中先生がいわれていたことを思いだしていた。

細く長くとか太く短く、とかいうけれど、
人がコントロールできるのは太さだけであって、長さはどうすることもできないんだ、
細く短い人もいるし、太く長い人もいる、と。

そんなことをいわれていた。

昔の仕事関係の人のおじさんは、とても元気だったそうだ。
病院に行くことも、健康診断に行くこともなく、健康そのものだったらしい。

その人が、ある日突然倒れた。
病院に運ばれて検査の結果、癌だった。
末期の癌で倒れた日から、そう経たないうちに亡くなったそうだ。

もう手遅れ、ということで、治療も受けなかった、らしい。
この人は、PPKなのだろう。
倒れる日まで、ほんとうに元気(ピンピン)だったのだから。

KK適塾の翌日、12月23日には、ジャズ喫茶の閉店の話のほかに、
別の人からスピーカーがこわれてしまった、という連絡があった。

そのスピーカーシステムは、発売されてから25年以上経っている。
それほど数は売れていないけれど、私も欲しかったスピーカーである。

そのスピーカーでなければ聴けない音の魅力があった。
いま、そのメーカーはない。
純正の修理は無理ということになる。

スピーカーの故障の原因は、パワーアンプの異状である。
パワーアンプも同時期に購入されたモノだから、こちらもけっこう月日が経っている。

このことが重なったから、PPKについて、オーディオの場合なら……、ということを考えてしまう。

Date: 1月 9th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(2月2日)

今年度のKK適塾の二回目は、2月2日に行われる。
受付が始まっている。

KK塾、KK適塾に行って毎回おもうのは、
もっとオーディオ関係者が来てほしい、ということだ。

オーディオ関係者とは、オーディオ業界の人だけを指すわけではない。
オーディオ好きの人を含めて、の意味だ。

二回目の講師は藤崎圭一郎氏である。

Date: 12月 25th, 2017
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(一回目・その3)

成熟した大人。
たしか、そういわれた。

心臓移植を例に挙げられての話だった。
心臓は亡くなった人からの移植はできない、とのこと。
つまり生きている人から取り出した心臓だから、移植できる、と。

もちろん生きている人に麻酔をかけて心臓を取り出してしまったら、それは殺人である。
だから脳死がある。

脳は死んでいても、人工呼吸器をつけていれば心臓は動いている。
そういう状態の人がいるから、心臓移植ができるわけだ。

心臓移植を受けなければ助からない人が、家族にいたとしたら、
おそらく全員が心臓移植を望むはずだ。

だが自分の子供が、プールで溺れて脳死状態になったとしよう。
子供の心臓を、心臓移植を必要としている人に提供できるだろうか。

数時間前まで元気だった自分の子供が、突然脳死宣告される。
しかも心臓を必要としている人がいる。

もしかすると、奇蹟に近いことがおきて、脳死状態から復帰できるかもしれない、
と親ならばおもいたくなる。
目の前にいるのは、自分の子供である。
心臓は動いていて、肌にふれれば温かい。

ここで成熟した大人の決断が求められる。
自分の子供が心臓移植を必要とし、心臓移植を望むのであれば、
脳死となったら心臓を提供することを求められる──、
一方的に望むだけでは、それは成熟した大人とはいえない。

酷なことであっても、自分だけがよければ……、という考えは通用しない。
ドナーとなることを拒否するのであれば、移植を受けることも望まなければいい。
それも成熟した大人の考えである。

脳死と臓器移植が、転売屋とどう関係するのか、といえば、
直接の関係はないけれど、転売屋は成熟した大人のやることだろうか。
とても未成熟であると感じる。

Date: 12月 25th, 2017
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(一回目・その2)

秋葉原のパーツ店は、店そのものは小さくとも、
在庫としてはかなりの数を抱えている。

閉店のウワサをいちはやくかぎつけた人たちは、
在庫をすべて買い取りたい、といってきたそうだ。
ただし、話にならないほどの価格だった、と聞いている。

人をバカにするにもほどがある、という。
そんな感じだったようだ。

安く買い叩いて、高く売る。それが目的の人たちなのだろうか。
いわゆる転売屋と呼ばれている人たちである。

ジャズ喫茶の閉店のウワサとともに、同じことをもちかけた人たちも、
ほんとうのところはどうなのだろうか。
転売屋の人たちがまったくいないわけではないだろう。

すべての人がそうだ、といわない。
通い詰めた場所がなくなるのだから、何か記念として……、という人もいるはずだ。

職業に貴賎はない、という。
そうだ、とはおもう。
五味先生がラヴェルのマ・メール・ロワを聴かれたときのことを書かれている。
     *
 これを初めてS氏邸で聴くまで、ラヴェルにこういう曲があることを私は知らなかった。聴いて陶然とはじめはした。二度目に聴かされたとき、街かどに佇む夜の娼婦をまざまざ私はこの曲趣に見たのを忘れない。寒い夜で、交番所があって、其処にはフランスのしゃれた巡査がマントを着て立っており、コツコツ靴を鳴らして時々付近を巡邏する。街灯が遠く、建物の角に斜めに立っている。人気のないショー・ウインドからむなしい明るさが路上にもれ、そんな窓のかどに淋しそうな娼婦が佇んでいるのだ。街を通る人影はほとんどない。でも彼女は立ちつづける。吐く息が寒気で白い湯気のように窓の照明に映る。巡査は彼女が娼婦なのを知っているが黙って交番所にもどってくる。寝しずまった都会の夜景。娼婦も、詩人も、単に生き方がちがうにすぎない。詩人がすぐれていて娼婦は賤しいとどうして言えようか? 彼女は必死で生きようとしている。暗くて貌はわからないが、きっと美人だ。いろいろなことが彼女の過去にあったろう。めったにもう人は通らない時刻なのを彼女は知っている。それでも佇んでいる。過去を背負って立ちつづけるのが神の意志にそうことを彼女は知っている。忘れたころに、自動車のヘッドライトが遠くの街路を音もなしに走り去ってゆく……ゆっくり、彼女はハイヒールを鳴らして巡査の方にやってくる。煙草を吸いたいからマッチを貸してちょうだい、と彼女は言う。若い巡査は黙ってズボンのポケットのマッチを出すが、自分では点けてやらない。彼女は暗がりにボウと一瞬、炎の明るさへ自分の顔を泛べて、擦る。痩せてはいるが果して美貌だ。烟りが、交番所の火にゆらゆらと立ち昇る……あなたも吸わないかと彼女はすすめるが彼は無言で頭をふる。彼女は靴音を残してまた元の場所へ歩み去る──
(《逝ける王女の為のパヴァーヌ》より)
     *
《娼婦も、詩人も、単に生き方がちがうにすぎない》
こういうのを10代のころに読んでいるからなのか、
《詩人がすぐれていて娼婦は賤しい》とは思わない。

この文章を読んでいても、私と違う人もいる。
知人は、賎しい職業だ、と思う人だ。
そういうひとが、小説を書いて芥川賞が欲しい、という。

そういう人を間近でみていたから、《詩人がすぐれていて娼婦は賤しい》とは思わないわけだが、
それでも転売屋と呼ばれてる人たちは、賎しいのではないか、とすらおもう。

職業に貴賎はないのだとしたら、
商売に貴賎はあるのかもしれない。

こんなことを書いているのは、
久坂部羊氏の話に、脳死と臓器移植のことがあったからだ。