音の色と構図の関係(その1)
別項「EMT 930stのこと(ガラード301との比較)」で、音の構図について触れている。
音の構図が崩れてしまっている音には、魅力を感じない。
これまでも音の構図には注意深くありたい、と思っていた。
けれど、いままで気づかなかったことがあるのに、昨晩気づかされた。
昨晩、写真家の野上眞宏さんと会っていた。
野上さんとの会話のなかで、最近ニュースになったAl(人工知能)も錯視することが出てきた。
ここでのAIがほんとうの意味でのAIなのかは、ここでは問わないが、
この実験の結果通りだとして、ほんとうにAIは錯視したのか、という捉え方もできる。
つまり錯視ではなく、現象として、それは起っている、と考えることだってできる。
もう20年以上前になると思う。
当時の週刊文春のカラー広告に、NTTが毎号出していたことがある。
NTTの研究所で、どんなことを研究しているのかを伝える広告だった。
すべてを憶えているわけではないが、錯視についての研究の回もあった。
錯視を現象として捉えた上で、アインシュタインの相対性理論にあてはめてみれば、
説明がつく──、そんな内容だったと記憶している。
たとえば同じ大きさのふたつの円がある。
色が塗られていない、もしくは同じ色であれば、ふたつの円は同じ大きさに見える。
ところがひとつを薄い色、もうひとつを濃い色にすると、ふたつの円の大きさは違って見える。
多くの人が小学生のころに体験されているはずだ。
これをNTTの研究者たちは錯視と捉えずに、実際に大きさが変っているのではないか。
つまり濃い色は、薄い色よりも色の質量がある。
そこに相対性理論が成り立ち、色の薄い円は、濃い色の円の影響を受ける、という内容だった。
色の質量という言葉が、その広告で使われていたのかどうかは定かではないが、
感覚的にも重い色、軽い色は確かにある。
そのことを思い出していたから、
もしかするとAIも錯視ではないのかもしれない──、
そんなことを話していた。
そこで野上さんが、非常に興味深いことをいわれた。