Archive for category plain sounding high thinking

Date: 4月 15th, 2025
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その15)

二年前、別項「Noise Control/Noise Design(Silent Design)」で、
Silent Designという言葉を使った。

使っただけで、それについて説明したわけではないが、
Silent Designは、私にとっては大切なテーマである。

二年経って、何か書けるようになったかと言えば、まだだ。
それでも、Silent Designとは、天衣無縫な音へとつながっていると、いまは確信しているし、
天衣無縫な音よりも、天衣無縫の音とした方が、どうしてだかしっくりとくる。

Date: 12月 16th, 2024
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その20)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
audio wednesdayで再び音を鳴らせる一年を過ごして、
どうだっただろうか──、とふりかえる。

Date: 8月 23rd, 2024
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その19)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
気負いだけが漲った音からは、音楽は聴こえてこない。

Date: 5月 16th, 2024
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その18)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
自恃があってこそだ。

Date: 3月 13th, 2024
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その17)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
3月6日のカザルスの無伴奏チェロ組曲は、私にとって答にかぎりなく近い、と信じられる。

Date: 2月 7th, 2024
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その16)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
カザルスの無伴奏チェロ組曲を、どう響かせるかが、その答なのだろう。

Date: 12月 31st, 2022
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その15)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
感情を削ぎ落としていくことの末に、その境地はあるのだろうか──、と考えることがある。

Date: 11月 16th, 2022
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その14)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
終のスピーカーを迎える私は、そういう音をはたして鳴らせるのだろうか。

Date: 10月 9th, 2022
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その13)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
純度を高めていったわがまま──、ということをふと考える。

Date: 8月 11th, 2022
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その12)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
五味先生の《いい音楽とは、倫理を貫いて来るものだ、こちらの胸まで》へとつらなる。

Date: 12月 30th, 2021
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その11)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
結局、心に近い音を見つけなければ、裸の音楽が鳴り始めることはない。

Date: 12月 2nd, 2021
Cate: plain sounding high thinking

オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その10)

《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
マリア・カラスの歌を聴いていて、ふと、これも裸の音楽なのかもしれない、と思う。

Date: 2月 17th, 2021
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その14)

GRFメモリー以降の、タンノイのPrestigeシリーズに、
私がスター性を身につけようとしていると感じてしまうのは、
タンノイはPrestigeシリーズにおいて、
《クラシカルなものに淫している》ように思えてしまうからだ。

1993年ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」の中で、田中一光氏が語られている。
《伝統のあるオーディオメーカーって止まってしまっているところが多いでしょう。クラシカルなものに淫しているように思う。》

田中一光氏は、どのブランドのことなのかは発言されていない。
発言されたのかもしれない。
編集部がまとめた段階で、その部分は削られたのかもしれない。

どちらなのかはわからないが、
それでも《クラシカルなものに淫している》《伝統あるオーディオメーカー》は、
タンノイのことだと確信している。

JBLの4343の成功、
そして4343がまとっていたスター性と、
タンノイのPrestigeシリーズが身につけようとしているスター性は、
ここのところでずいぶん違っているように感じてしまう。

その1)は、約五年前に書いている。
“plain sounding, high thinking”は、
ワーズワースの有名な詩句 “plain living, high thinking” をもとに思いついた。

そして、タンノイのコーネッタのことも思い浮べての(その1)だった。
(その1)からの四年半後、タンノイのコーネッタを手に入れた。

自分でタンノイを鳴らしてまだ一年も経っていない。
それでもあれこれおもうことは、いくつもある。

別項で書いているいぶし銀という表現に関してもそうなのだが、
音色的な意味でのいぶし銀とは違う意味で、
“plain sounding, high thinking”こそ、私にとっての「いぶし銀」な音である。

Date: 10月 21st, 2020
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その13)

その12)で引用した黒田先生の文章に、
《鳴物入りで登場したニュースターの演奏をきいて、これはちょっとおかしいぞ、と思ったとき、ぼくは、いつでも、いわゆるスター性などという虚飾をとっくの昔に捨て、静かに音楽を紡ぎだすことにだけ専心しつづけているあなたがたの演奏に耳をすますことにしています》
とある。

ここでの「あなたがた」とは、ボザール・トリオのことだ。
オーディオにあてはめた場合、どうだろう。

以前のタンノイのスピーカーは、ボザール・トリオ的だった、といえる。
1976年に発表されたアーデン、バークレーなどのABCシリーズまでは、
スター性などという虚飾をとっくの昔に捨てていた。

GRFメモリーの登場を、タンノイの復活と評価することには、
素直に同意できない気持が、私のなかには残っている。

確かにタンノイは、GRFメモリー以降、息を吹き返した、といえる。
でも、JBLの4343の成功を横目でみながらのタンノイのようにも感じてしまうところがある。

捨てたはずのスター性を、タンノイは身につけようとしているようにも感じられるからだ。
捨てたはず、と書いてしまったが、
もともとタンノイのスピーカーはスター性とは無縁だった、と思っている。

売れるモノをつくっていかなければ、会社は成り立っていかない。
スター性をもつモノともたないモノとでは、持つモノのほうが売れる傾向にある。

ハーマンインターナショナル傘下時代のタンノイのスピーカー、
ABCシリーズの一連のスピーカーは、アメリカナイズされている、といった人もいる。

けれど、スター性を身につけようとしはじめたGRFメモリー以降に、
アメリカナイズされたところを、なんとなく感じとってしまう。

このへんのところは、受けとる側によって違ってくるところだろう。
堕落したタンノイといいたいわけではないし、ABCシリーズのタンノイが、
いまのタンノイのスピーカーよりも優れている、といいたいわけでもない。

ただタンノイは変った、といいたいだけである。
それをいい方向へと受けとるか、そうではないと受けとるかは、人それぞれである。

Date: 5月 30th, 2020
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(コメントを読んで)

(その12)に、facebookでコメントがあった。

ガソリン臭くて、燃費が悪くて、音がいっぱい出る、
そんな野性味溢れた車が好き──、
そういうことをいった人がいる、という内容だった。

クルマ好きのなかには、そういう人がいるのは確かだろう。
このコメントで私が興味深いと感じたのは、「燃費が悪くて」のところだった。

野性味溢れるクルマは、燃費が悪い、というイメージが、私にはある。
免許を持たない私の印象だから、事実かどうかはなんともいえないが、
スーパーカーと呼ばれるクルマであっても、昔のスーパーカーと現在のスーパーカーでは、
燃費に関しては改善されているはずだ。

この燃費は、いわば変換効率であって、
スピーカーに関しては、昔のスピーカーのほうが変換効率は高かった。
いわば燃費のいいスピーカーといえるわけだ。

このことは、ここでのテーマよりも、
別項「拡張と集中」に深く関係してくることでもある。