Archive for category plain sounding high thinking

Date: 11月 2nd, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その6)

三人称の音といえば、私が頭に浮べるのはトーキー用スピーカーである。
ウェスターン・エレクトリック、シーメンスといった旧いスピーカーである。
その次に(というか少し範囲をひろげて)アルテック、ヴァイタヴォックスが浮んでくる。

いずれもが劇場用として開発されたスピーカーばかりである。
つまり聴き手はひとりではない、必ず複数、それも多人数を相手にするスピーカーである。

これらははっきりと三人称の音といえる。
アンプに関しては一人称の音に惹かれがちの私なのだが、
スピーカーに関しては、必ずしもそうではなく、むしろ三人称の音に惹かれるがちである。

スピーカーに限らず、
スピーカーと同じトランスデューサーであるカートリッジに関しても、そうだ。
一人称の音と感じられるモノよりも、三人称の音と感じられるモノを選ぶ傾向があることを、
これまでのことをふりかえって気づいている。

私の中では、オルトフォンのSPU、EMTのTSD15といったカートリッジは、
一人称の音のするカートリッジではなく、三人称の音のカートリッジなのである。
どちらも無個性の音がするわけではない。

TSD15はかなり個性的ともいえる。
それでもどちらも三人称の音であり、
個性が強いから一人称、個性がないから三人称と感じているわけではない。

Date: 11月 1st, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その5)

ラックスのアンプには、根強いファンが昔からいる。
私は、というと、あまりラックスのアンプに惹かれることはなかった。

何度か書いているように、
スペンドールのBCIIと組み合わせた時のLX38の音は、
いまも耳の底に残っていて、もう一度、この「音」を聴きたい、と思うことがあるくらいだ。

LX38よりも少し前に登場したラボラトリーシリーズの5L15、5C50、5M21は、
いま聴いてみると、どうなんたろう、という興味はある。
古くささを感じてしまうのか、それともいま聴いても、いいアンプだな、と思えるのか。

こんな関心の持ち方をしても、私はラックスのアンプのファンではなかった。
いまのラックスのアンプの音については、
きちんと聴く機会がないので、あくまでもここに書くのは、以前のラックスのアンプの音についてだ。

私には、ラックスのアンプの音は、二人称のように感じることがある。
三人称ではない、といえる。
すべてのラックスのアンプを聴いているわけではないが、
それでもラックスを耐評するアンプを聴いていて感じることである。
だからこそ、ラックスのアンプのファンは、根強いのかもしれない。

では、一人称の音かといえば、なにか違う気がする。
なにが違うのか、はっきりといえないところにもどかしさを感じてしまうが、
私の耳(感性)には、一人称の音としては聴こえてこない要素が、
ラックスのアンプにはあるようだ。

Date: 11月 1st, 2016
Cate: plain sounding high thinking
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一人称の音(その4)

ステレオサウンド 54号の特集の座談会での瀬川先生の発言。
     *
 あるメーカーのエンジニアにその話をしたことがあるのです。「あなたがこのスピーカーの特性はいくらフラットだと言われても、データを見せられても、私にはこう聴こえる」と言ったら、そのエンジニアがびっくりして「実は、このスピーカーをヨーロッパへ持っていくと同じことを言われる」というのです。「それじゃ、私の耳はヨーロッパ人の耳だ」と笑ったのですが、しかし冗談でなくて、その後ヨーロッパ向けにヨーロッパ人が納得のゆく音に仕上げたもの──見た目は全く同じで、ネットワークだけを変えたものだそうです──を聴かせてくれたのです。
 満点とはいえないまでも、日本向けの製品に感じられた癖がわりあいないのです。ではなぜ、日本向けにはそういう音にするのかというと、実は店頭などで、艶歌、ポップス、ニューミュージックなどの歌中心のレコードをかけた時に、ユーザーがテレビやラジカセなど町にはんらんしているあらゆるスピーカーを通して聴いてイメージアップしている歌手の声に近づけるためには、中域をはらさなければダメなのだというわけです。つまり商策だということになりますね。
     *
このメーカーのスピーカーの音は、一人称の音、
それとも二人称の音、三人称の音なのだろうか。

あるメーカーとは、もちろん日本のメーカーである。
この日本のメーカーがヨーロッパ向けのモノは、ヨーロッパ人に音を仕上げさせる。
国内流通分は日本人のエンジニアが音を仕上げる。

同じ外観のスピーカー、ユニットも同じであっても、ネットワークだけが違っている。
おそらくサイン波による周波数特性を測定してみたところで、
はっきりとした違いは認められないかもしれないが、
ヨーロッパ人がヨーロッパ向けに仕上げたモノは、
日本向けのモノに感じられた癖が少ない、ということ。

しかもその癖は、商策から生じるものである。
ということは、このメーカーが日本向けとして販売しているスピーカーは、
一人称の音ではない、二人称の音でもない、つまりは三人称の音なのだろうか。

でもここでも疑問がわく。
ほんとうに三人称なのたろうか。実のところ、三人称でもないのではないか。

54号よりも少し前、
若者向けの音、ということもオーディオ雑誌でときおり目にしていた。
この若者向けの音に仕上げられた場合、三人称の音なのだろうか。

日本向けが想定している日本人、
若者向けが想定している若者は、ほんとうにいるのだろうか。

Date: 10月 31st, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その3)

AGIのコントロールアンプ511もそうだ。
ごく初期の511の持っていた音の魅力は、
その後細部の改良、OPアンプの変更などによって失われていった。

けれどアンプとしての優秀さは増していっている。
完成度の面では、ごく初期の511よりもその後の511、511bの方が高い、といえる。
だから511は改良されていった、ともいえるわけだ。

けれど、その変化はなんなのだろうか、とあのころから考えていた。
別項で書いているが、クレルのPAM2とKSA100の初期モデルが聴かせてくれた音も、
短い寿命だった。

フロントパネルの仕上げの変更とともに消失してしまった。
クレルの場合もAGIと同じで、アンプとしては確かに改良されていっている。
クレルもAGIも、進む方向が間違っているとはいえない。

こういう例は他にもいくつも挙げられる。
しかも不思議なことに、そのほとんどがアンプである。

規模の小さいメーカーが最初に世に問うたアンプの音には、
いまでも忘れ難い魅力があったものだ。
でも、それらは音のはかなさを教えてくれる。

あっという間に失われてしまう。
つまり、それは一人称の音から脱却なのだと思う。

それまでは自分、せいぜいが周りにいるオーディオマニアからの評価がすべてであったアンプが、
メーカーのアンプとして世に出ることで、比較にならぬほど多くの評価を受けることになる。
それらの声がフィードバックされることで、一人称の音は消えざるをえないのだろうか。

ここでまたネルソン・パスを例にだせば、
パスはパス・ラボラトリーズの他に、First Wattからもアンプを出している。
ふたつのブランドのアンプの性格はまるで違う。

First WattのSIT1、SIT2をみていると、そして音を聴くと、
そこにはネルソン・パスの一人称の音がある、と思える。

スレッショルド時代の800Aと同じ音ではないが、どちらも一人称の音のようにも感じる。

Date: 10月 31st, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その2)

スレッショルドのアンプ。
800Aから始まり、いくつものアンプが登場した。
STASIS 1は、いいアンプだと思っている。
コンディションがいい状態であれば、いま聴いてもいいアンプと思えるかもしれない。

ネルソン・パスが離れるまでのスレッショルドのアンプでは、
STASIS 1がもっとも優れたパワーアンプだと思っている。

けれどスレッショルドのパワーアンプの中で、私がいまでも欲しいと狙っているのは800Aである。
スレッショルドの最初のアンプである800Aの音は、
いま聴くとおそらく古めかしさも感じるだろう。
それでも、800Aが登場したころに聴けた音は、なんとも魅力的だった。

それが美化されていない、とはいわない。
それでも、その後の400A、4000 Custom、
それにSTASISシリーズからはついに聴けなかった魅力があった。
少なくとも私にはあった。

いま振り返れば、800Aは、ネルソン・パスにとっての一人称のアンプ(音)であった。

800Aの音を聴いて、スレッショルドというアンプメーカーは、
私のなかでは特別な存在になっていた。

中古を探したこともある。
ステレオサウンドにいたころ、
巻末にあるused component market(売買欄)の「買います」に、
いわば職権濫用で800A買います、と写真付きで載せたことがある。

800Aの音については、瀬川先生がぴったりくる表現をされている。
《800Aのあの独特の、清楚でありながら底力のある凄みを秘めた音の魅力が忘れられなかった》、
ほんとうにそういう音がしていた。

だからスレッショルドのアンプの中で、800Aは好きなアンプであり、
個人的に別格のアンプでもある。
でもSTASIS 1よりも、その他の、その後に登場したアンプよりも優秀であるとは思っていない。

Date: 10月 31st, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その1)

マランツの真空管時代のコントロールアンプといえば、
Model 7を誰もが挙げるであろうが、
Model 7の完成度の高さを認めながらも、
音はモノーラル時代のModel 1の方が好ましい、という人もいる。

Model 1の音は一度だけステレオサウンドの試聴室で聴いたことがある。
岡先生所有のモノが、メンテナンスのためステレオサウンドにあったからだ。
作業を行ったのは、サウンドボーイ編集長のOさんだった。

なので私が聴いたのはモノーラルの音である。
それにステレオサウンドの試聴室でModel 7を聴いてはいない。
Model 1とModel 7、
どちらの音が好ましいのかはなんともいえないが、わかる気はする。

Model 1はマランツの最初のアンプである。
それは最初の製品ではなく、最初のアンプと書く方がより正確である。

ソウル・バーナード・マランツが自分のために作ったアンプが、
彼の周りのオーディオマニアにも好評で市販することにした──、
という話はいろんなオーディオ雑誌に書かれているので、お読みになっているはず。

Model 1と書いてしまったが、正しくはAudio Consoletteであり、
のちにツマミの変更などがあり、Model 1となる。

Model 7とはそこが違うといえよう。
もちろんModel 7も、
ソウル・バーナード・マランツが自身のためのつくったアンプともいえなくもないが、゛
Model 7の前にModel 1を二台とステレオアダプターのModel 6をウッドケースにおさめたモデルがある。

それにModel 7を手がけたのはシドニー・スミスだともいわれている。
Model 1とModel 7。
どちらがいい音なのかを書きたいわけではない。

いわば処女作のModel 1だけがもつ音の好ましさがあって、
それに惹かれる人がいる、ということである。

つまりModel 1の音は、ソウル・バーナード・マランツの一人称の音といえる。

Date: 8月 9th, 2016
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その3)

plain soundingを、どう言葉で表現するかは、うまくできていない。
いまいえることは、つい先日別項「夏の終りに(その4)」に書いた薬物ドーピング的アクセサリーを拒否した音は、
はっきりとplain soundingといえる。

Date: 8月 5th, 2016
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その2)

昨年末に書いた”plain sounding, high thinking”の(その1)。
忘れていたわけではない。
憶えている。

憶えているからこそ、今年のaudio sharing例会はできるだけ音を出していこうとしている。
1月、3月、4月,5月、6月、8月と音を鳴らしてきた。
9月も音を鳴らす。

これまで口に出しはしなかったけれど、
“plain sounding, high thinking”はつねに頭のどこかにあった。
いまもある。

audio sharing例会に来て下さった方は、
“plain sounding, high thinking”のことはまたく考えていなかったと思う。

喫茶茶会記のスペースで出していた音は”plain sounding”といえたであろうか。
来て下さった方は、これを読んで
“plain sounding”といえばそうだったかも……、と思ってくれるのか、
えっ、あれが”plain sounding”? と思われているのか。

“plain sounding, high thinking”を謳ってはいないけれど、
まったく意識していないわけではない。

Date: 12月 29th, 2015
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その1)

“plain sounding, high thinking”は、
ワーズワースの有名な詩句 “plain living, high thinking” をもとに、私がつくった。

具体的にどういうことを書いていくのか決めていない。
それでも新たに書き始めたのは、
来年は、この“plain sounding, high thinking”を考えていきたいし、
実践していきたいからである。