Archive for category 冗長性

Date: 5月 27th, 2022
Cate: 冗長性

冗長と情調(その9)

ベーシック版のラインインプットモジュールB200を、
プレミアム版のP200よりも音がいい、という人の理屈は、
信号経路がシンプルだから、音の鮮度がいいはず、というものだった。

LNP2でREC OUTから信号を取り出す方が音がいい、というのと同じ理屈だった。
この理屈は聞くまでもなく予想できていた。

信号経路にアンプの数は少ないほうが、絶対にいい──。
その理屈がわからないわけではないし、
マーク・レヴィンソン自身が、ML6で市販品のコントロールアンプとしては、
これ以上機能を削ることはできないところで、音の純度を大事にしていたのだから。

マーク・レヴィンソンは自身が興したマークレビンソンを離れ、
Celloを興し、Audio Paletteを発表し、続けてAudio Suiteを出してきた。

マーク・レヴィンソンはインタヴューのなかで、
ピュアリスト・アプローチを忘れたわけではない、と語っている。

この言葉をどう受けとるか、どう解釈するのかは、
その人の自由(勝手)である。

ゲインが十分であれば、
信号が通過するアンプの数は少ない方がいいに決っている──、
これが間違っているわけではない。
けれど、絶対的に正しいことなのだろうか。

ここでのタイトルである「冗長と情調」について考えると、
Audio Suiteにおけるアンプ構成についてどうしても触れておきたかった。

Date: 5月 26th, 2022
Cate: 冗長性

冗長と情調(その8)

Audio Suiteのモジュールには、二つのグレードが用意されていた。
プレミアム・モジュールとベーシック・モジュールである。

モジュールにも、当然だが型番があって、
プレミアムのアウトプットモジュールはP301、
ラインレベルのインプットモジュールはP200、
フォノ用のインプットモジュールはP100という具合にだ。

型番の最初のPは、premiumを指していて、
ベーシック・モジュールはBがつく。

私が聴いたAudio Suiteは、プレミアム・モジュールである。
ベーシック・モジュールは聴いていない。
なので、プレミアム・モジュールとベーシック・モジュールが、
どれだけ違うのか、知らないので、私がAudio Suiteの音として書くのは、
だからプレミアム・モジュールのAudio Suiteである。

音は聴いていないものの、
ラインレベルのインプットモジュールのベーシック版の写真は見ている。

プレミアム・モジュールと何が大きく違うのかというと、
ベーシック・モジュールにはアンプ回路が省略されている。

このモジュールのパネルには入力セレクターかわりの出力のON/OFFスイッチ、
プリント基板には配線のパターンがあるだけ。

プレミアム・モジュールのP200は当時400,000円だったが、
ベーシック・モジュールの方は、かなり安かったはずだ。

ここでも、(その7)で書いている、オレはわかっている──、
そう自慢したい人は、
Audio Suiteのラインレベルのインプットモジュールは、
プレミアム版よりもベーシック版のほうが音がいい、という。

これを私に言った人は、ベーシック版の音を聴いていないにも、関わらずだ。

Date: 5月 20th, 2022
Cate: 冗長性

冗長と情調(その7)

マークレビンソンのLNP2のブロックダイアグラムを見ればすぐにわかることだが、
フォノ入力は三つのモジュール(アンプ)を経由して出力される。

ライン入力に関しても二つのモジュールを通って出力される。
それだけでなくポテンショメーター(レベルコントロール)も二つ通ることになる。

音の鮮度をことさら重視する人は、
それだけでダメだ、と決めつけるし、
LNP2としてREC OUTを出力としたほうが、ずっと音がいい、と自慢気に語ったりする。

そういう人に限って、他の人はそのことに気づいていない、
自分だけが気づいたことだ、と思っているから滑稽でもある。

LNP2のREC OUTは、一般的なアンプのそれとは違い、レベルコントロールが可能である。
ただし左右独立のポテンショメーターを操作することになるけれども。

トーンコントロール機能を備えるモジュールをパスする使い方なのだから、
音の鮮度だけでいえば、確かに音はよくなる。
それにゲイン的にも、CDを再生するのであれば使いやすくもなることもある。

使い方は人それぞれだから、どういうLNP2の使い方をしようといい。
でも、自分だけが気づいている、と思い込むのだけはやめたほうがいい。

LNP2を使っている人ならば、たいていの人がずっと以前から知っていることなのだから。

そういう自分だけが──、という人のことはどうでもいのだが、
この、自分だけが──、という人は、
おそらくCelloのAudio Suiteも同様に問題視するだろう。

Audio Suiteはインプットモジュールとアウトプットモジュールとがある。
それを組み合わせることができる。

CDのみしか聴かないという人ならば、
ライン入力のインプットモジュールとアウトプットモジュールという、
最低限の構成にしたほうが、価格も抑えられるし、音のいい。

けれど、この構成でもライン入力からの信号は、
インプットモジュールのアンプとアウトプットモジュールのアンプ、
二つのアンプを通って出力される。

Date: 1月 21st, 2021
Cate: サイズ, 冗長性

サイズ考(その72)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」の巻頭、
瀬川先生の「’78コンポーネント界の動向をふりかえって」のなかに、こうある。
     *
 35ミリカメラの一眼レフの流れをみても、最初はサブ機的なイメージでとらえられていたものが、数年のあいだに技術を競い合っていまや主流として、プロ用としても十分に信頼に応えている。オーディオもまた、こうした道を追って、小型が主流になるのだろうか? 必ずしもそうとは言いきれないと思う。
 たしかに、ICやLSIの技術によって、電子回路はおそろしく小型化できる。パーツ自体もこれに歩調を合わせて小型化の方向をとっている。けれど、オーディオをアナログ信号として扱うかぎり、針の先でも描けないようなミクロの回路を通すことは、やはり音質の向上にはならないだろう。プリント基板にエッチングされた回路では電流容量が不足して音質を劣化する、とされ、エッチング層を厚くするくふうをしたり、基板の上に銅線を手でハンダづけする手間をかけて、音質の向上をはかっている現状では、アンプの小型化は、やはり限度があるだろう。オーディオがディジタル信号として扱われる時代がくれば、手のひらに乗るアンプも不可能ではなくなるだろうが……。
     *
この時代、国産アンプは、プリント基板の箔の厚みを増したことを謳ったモノが登場していた。
銅箔の厚みが増せば、電気抵抗もわずかとはいえ低くなる。
それによる音への変化ももちろんあるが、
プリント基板の振動(共振)という点でも違っていたであろう。

銅箔の薄いプリント基板と厚いプリント基板。
指で弾いてみると音は違っていたはずだ。

この数年後に、
ラジオ技術で富田嘉和氏が、2SK30一本(一段増幅)のラインアンプを発表された。
オーディオクラフトから製品化されているPL1000である。

発表後、部品についての記述があった。
抵抗を通常のW数よりもずっと大きなモノにすることによる音の変化の大きさを記されていた。
数十Wといった、かなり大型の抵抗まで試されていた、と記憶している。

通常の抵抗は1/2Wか1/4Wである。
抵抗のW数によって抵抗の精度はかわりない、といえる。

何が変るのか、といえば、富田嘉和氏によれば温度係数ということだった。

Date: 9月 18th, 2020
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その9)

ラドカ・トネフの「FAIRYTALES」は、初期のデジタル録音である。
三菱のデジタルレコーダーX80が使われている。

X80はサンプリング周波数50kHzである。
まだCDのフォーマットが制定される前に開発されていたためである。

その「FAIRYTALES」を、いま一枚のディスクで、
44.1kHzの通常のCD、SACD、それからMQA-CD、それぞれの音を聴ける。

どの音がいちばんいいのかを書くつもりはない。
それぞれのシステムによって、どれがよく鳴るのか(適しているのか)は、
違ってくるはずだからである。

そうであっても、「FAIRYTALES」を聴いていると、
なんといい音だろう、といつも思う。

CDレイヤーで聴いても、SACDレイヤーで聴いても、
MQA-CDとして聴いても、そのことに変りはない。

「FAIRYTALES」を聴いていると、これが初期のデジタル録音とは思えないのだ。
もちろん、いま入手できるSACD/CD(MQA-CD)ハイブリッド盤の制作に当って、
あらたにマスタリングがなされたであろうから、それによるところも大きいはずだ。

けれど、元の録音が素晴らしいから、ということを忘れるわけにはいかない。

いつごろからか、一部の人たちのあいだで初期のCDの音が見直されているようである。
初期のCDとは、1982年のCDの登場から数年のあいだに出たCDのことである。

一枚の値段が3,800円、3,500円していた時代のCDである。
なぜ、そのころのCDが音がいいのか、その理由として、
一部の人たちは、マスターテープの劣化を、ここでも持ってくる。

でも、ほんとうにそうだろうか。

Date: 8月 31st, 2020
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その8)

別項で書いているようにiPhoneを、
メリディアンの218に接続して音楽を聴くことが、私にとって当り前になってきている。

CDプレーヤーも使っている。
SACDを聴くときには、CDプレーヤーのアナログ出力をアンプに接続する。

それ以外、つまり通常のCDやMQA-CDを聴く場合には、デジタル出力を218に接続している。
CDプレーヤーの二つの出力(アナログとデジタル)を使い分けているわけで、
だからといってアンプの入力セレクターで対応はせずに、
その度にケーブルを接ぎかえている。

そこにiPhoneが加わると、接ぎかえが増える。
手間といえば手間だが、大変なことではない。
それでも、そろそろなんとかしようとは思いつつも、こんなことをいちいちやっているのも、
iPhoneでのMQA再生が、なかなかいいからである。

iPhoneとCDプレーヤー。
その大きさと重さは、比較するまでもなく、大きく違う。
消費電力もかなり違う。

ここでのテーマ、redundancy in digital(デジタルにおける冗長性)でいえば、
iPhoneは、冗長性の徹底的な排除をはかっている、といえるはずだ。

その成果は、iPhoneをオーディオ機器として捉えても、あると考えている。
デジタル機器としての完成度を高めるためには、
冗長性をなくしていくことは重要なことのようにも感じている。

そう思いながらも、(その2)で書いているように、
ワディアのWadia 2000、X64.4、同時代のD/Aコンバーターが気になってもいる。

ワディアの初期のD/Aコンバーターは、あのころ衝撃的だった。
おそらく、瀬川先生がマークレビンソンのLNP2をきいた時にうけられた衝撃に近い、
もっといえば同種の衝撃だった、とさえ思っているくらいだ。

その衝撃が、まだ残っているからなのもわかっている。
それでも、いまWadia 2000、X64.4を聴いたら、どんな印象を受けるのか、は気になる。

聴く機会はなかったけれど、ワディアのPower DACは、その意味でもっと気になる。

いま愛用している218は、冗長性は小さい、といえる。
そのD/Aコンバーターで、ラドカ・トネフの「FAIRYTALES」を聴いていると、
デジタルにおける冗長性について、どうしても考えてみたくなる。

Date: 8月 24th, 2019
Cate: 冗長性

冗長と情調(余談・「マッチ工場の少女」)

この項の続きを書こうとして思い出しているのが、
1991年に公開された映画「マッチ工場の少女」である。

渋谷のパルコ内の劇場での公開だった。
この映画の監督、アキ・カウリスマキのことは、この映画の公開とともに知った。

何も知らずに観た映画だった。
なぜ、観ようと思ったのか、それすら忘れてしまったが、
「マッチ工場の少女」の衝撃は大きかった。

映画マニアと呼ばれるほどには数を観ていないが、
それでも少なくない映画は観ているほうだろう。

これまで観てきた映画で、こういう映画が観たかった、と思ったのは、
「マッチ工場の少女」が初めてだったし、
「マッチ工場の少女」以上にそう思えた映画は、いまのところ出会えていない。

約70分ほどの、少し短い上映時間である。
「マッチ工場の少女」を観れば、
ここで取り上げた理由がわかってもらえる、と思っている。

Date: 7月 14th, 2019
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その7)

ステレオサウンド編集部にいたからといって、
当時登場したオーディオ機器のすべてに接することができたわけではない。

関心をもっていても、実物をみたことすらない製品もある。
私にとって、そして、この項のテーマに関係しているモノで真っ先に浮ぶのは、
dbxのdbx 700である。

dbx 700のフロントパネルには、“DIGITAL AUDIO PROCESSOR”とある。
とはいえ、PCMプロセッサーではない。

当時の広告には、
《サンプリングレイト640kHzを持つ世界で初めてCPDM(Companded Predictive Delta Modulation)──圧縮予測型Δ・モジュレーション──方式》
とある。

16ビットPCMではない、とも広告にはある。
いまでこそ700kHzを超えるサンプリング周波数のPCMは実現しているが、
dbx 700が登場したのは1984年である。

ほとんどのCDプレーヤーが、四倍オーバーサンプリングを謳っていた時代である。

dbx 700は、受註生産だった。
価格は1,650,000円で、
外形寸法/重量はW48.2×H13.3×D29.2cm/10.5kgで、消費電力は60Wである。

dbx 700については、Wikipedia(英語版)を参照してほしい。

ソニーのPCM-F1の登場から約三年が経っている。
当時の広告には、《2年のR/Dを経た今》とある。

dbx 700の開発が始まったのは、PCM-F1の登場後である。

Date: 7月 18th, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その6)

1979年当時の各社のPCMプロセッサーの外形寸法/重量/消費電力は下記のとおり。

オーレックス PCM Mark-II:W45.0×H17.0×D39.0cm/25.0kg
オプトニカ RX1:W43.0×H14.1×D36.0cm/15.5kg/80W
オットー PCA10:W44.0×H15.0×D43.0cm/60W
ソニー PCM100:W48.0×H20.0×D40.0cm/約30kg/60W、PCM-P10:W48.0×H20.0×D40.0cm/約30kg/50W、PCM-10:W48.0×H20.0×D40.0cm/約30kg/60W
テクニクス SH-P1:W45.0×H20.5×D48.0cm/22.0kg/100W
ビクター VP1000:W43.5×H17.0×D52.8cm/26.0kg/100W

どの機種も出力100W以上のプリメインアンプ並の大きさと重さである。
消費電力にしても、バッテリー駆動が無理なほどに大きい。

くどいようだが、これにビデオデッキの大きさ、重さ、消費電力が加わるわけだ。

二年後の1981年に、ソニーのPCM-F1が登場する。
PCM-F1の外形寸法/重量はW21.5×H8.0×D30.5cm/約4kgである。
PCM-F1はAC電源のほかに、充電バッテリー、カーバッテリーの三電源対応なので、
電源部は外付けとなっている。

なので電源部を含めると、多少サイズは大きくなるものの、
PCM100のサイズと比較するまでもなく、ここまでコンパクト化している。

もちろん性能的にはPCM100は同じである。
PCM100が1,500,000円でPCM-F1が250,000円だから、1/6になっている。

けれど1981年では、PCM10、PCM-P10(再生のみ)は製造中止になっているものの、
PCM100は現行製品である。

他社のPCMユニットもソニーと傾向は同じである。
性能はそのままにサイズは小さくなり、消費電力も減り、価格も安くなっている。
そして製品ラインナップは完全に入れ代っている。

1979年の新製品だったPCMユニットはすべて製造中止。
なのにソニーのPCM100は残っている。

Date: 7月 18th, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その5)

1979年に、国内メーカーからPCMユニットが登場した。
若い世代にはPCMユニットといっても、もう通用しないのかもしれない。

PCMユニットとは、A/D、D/Aコンバーターを搭載し、
外付けのビデオデッキにデジタル録音・再生を行うためのプロセッサーである。

オーレックスからPCM Mark-II(780,000円)、
オプトニカからはRX1(590,000円)、オットーからはPCA10(580,000円)、
ソニーからは三機種、PCM100(1,500,000円)、PCM-P10(500,000円)、
PCM-10(700,000円)、
テクニクスからはSH-P1(8000,000円)、
ビクターからはVP1000(1,500,000円)が登場した。

サンプリング周波数は44.056kHzで、14ビットである。
それでも、これだけの価格であった。

どのメーカーのモデルであっても、これ一台で録音・再生はできない。
上記のとおり、ビデオデッキに必要になり、
日本はNTSC方式であったため、サンプリング周波数は44.056kHzになっている。

ヨーロッパのPAL方式のビデオデッキで、
この44.056kHxzに近いのが、44.1kHzであり、CDのサンプリング周波数となっている。

1979年当時のビデオデッキがいくらしたのかよく知らない。
まだまだ安くはなってなかった。
ビデオデッキ本体もビデオテープも、高価だったはずだ。

当時、デジタル録音・再生を行おうと思ったら、
これだけの器材(これだけの費用)がかかった。

しかも、これらのプロセッサーは大きく重く、それに消費電力も大きかった。

Date: 7月 18th, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その4)

1970年代後半の国産のアナログプレーヤーの大半は、
オルトフォンのSPUというカートリッジを、いわは無視していた、ともいえる。
付属のトーンアームでゼロバランスがとれないのだから。

SPUという旧型のカートリッジをつかいたい人は、
単体のターンテーブル、単会のトーンアームを購入して、
プレーヤーシステムを自作してください──、
それがメーカーの、言葉にしてはいなかったが主張だった。

少なくとも、1976年秋に、
オーディオに興味をもった中学生の目には、そう映っていた。

SPUというカートリッジは特別な、というよりも特殊な存在のようにも感じていた。
世の中の多くのカートリッジは軽針圧の方向にまっしぐらという雰囲気だった。
カートリッジの自重も軽くなっていた。

アナログディスクの細い複雑な溝を正確にトレースするために、
しかもディスクは完璧なフラットではなく、多少なりとも反っているわけだから、
頭で考えれば軽針圧のカートリッジが、有利に思える。

事実、有利なところもあった。
けれど軽針圧カートリッジの中には、
アナログディスクの片面を通してトレースできないモノもあったときいている。
極端な軽針圧カートリッジの中には、極端に盤面のホコリに弱かったからだ。

そんな極端な軽針圧カートリッジは例外としても、
トラッキングアビリティの向上は明らかだったし、
SPUはその点でも、旧型に属するカートリッジでもあった。

けれどそれら数多くのカートリッジのなかで、いまも生きのびているのはSPUである。
カートリッジとしての性能は明らかに、
SPUを上廻っているモノはいくつもあったにも関らずだ。

音がいいから、がその答となるわけだが、
では、なぜそうなのかを考えずにはいられないし、
カートリッジの軽針圧化と現在のハイレゾ化は、どこか似ているようなところも感じる。

Date: 6月 23rd, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その3)

41号からステレオサウンドを読みはじめた私には、
ベストバイ特集号は43号が初めてであった。

43号は1977年夏号だ。
43号でのカートリッジのベストバイを眺めていくと、
オルトフォンのMC20だけが、全員の評を得ている。

井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏全員が、
MC20をベストバイカートリッジと認めている。

五人が選定しているのは、
グレースのF8L’10、デンオンのDL103S、エラックのSTS455E、
フィデリティ・リサーチのFR1MK3、エンパイアの4000D/IIIである。

オルトフォンのSPUが、この時代、どうだったかというと、
SPU-Gが岡俊雄、菅野沖彦、SPU-G/Eが井上卓也、菅野沖彦、
SPU-A/Eが瀬川冬樹、山中敬三、SPU-GT/Eが菅野沖彦、瀬川冬樹と、
いずれも二人だけの選定である。

この時代、すでに軽針圧化の時代だった。
4000D/IIIの針圧は0.25〜1.25g、STS455Eが0.75〜1.5g、F8L’10が0.5〜2.5g(最適1.5g)、
カートリッジの自重も6g前後であった。

SPUは、というと、専用のヘッドシェル込みとはいえ、自重32gで、
針圧はカタログには2〜3gとなっているが、3g以上の針圧を必要とすることは、
43号でも指摘されていた。

しかも当時の国産のアナログプレーヤーでSPUを使おうとすれば、
サブウェイトを使ってもゼロバランスをとれないのが大半だった。

ヘッドシェル込みで24〜27gまでが、当時の上限だった。

Date: 6月 21st, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その2)

火曜日、Aさんと吉祥寺で飲んでいた。
一軒目を出た後に、五日市街道沿いのハードオフに二人で行った。

中古オーディオを見ながらのオーディオ談義。
「D/Aコンバーターだけは新しいモノが常に優れている」という趣旨のことを、
Aさんが言われた。

基本的には私も同意見なのだが、
ここ二年ほど、やたらワディアの初期のD/Aコンバーターが気になって仕方がない。
Wadia 2000やX64.4のことが気になる。

基本性能の比較だけでは、数万円のD/Aコンバーターに劣る。
たとえばCHORDのMojo。
いま六万円前後で購入できる、この掌サイズのD/Aコンバーターの性能は、
Wadia 2000、X64.4が登場したころには想像もつかないレベルだ。

19年前のPowerBoook G3よりも、iPhoneは比較にならないほど性能は向上している。
しかも掌サイズまで凝縮されている。

D/Aコンバーターもデジタル機器である。
Wadia 2000、X64.4から30年ほど経っている。

同時代のMac、SE/30をいま現役で使っている人はいないだろう。
けれど音に関しては、どうなのか。
Wadia 2000、X64.4を、いま聴いたら、どう感じるのか。

音の精細さでは、Mojoに負けているかもしれない。
同一視はできないのはわかっているが、
カートリッジにおける軽針圧型と重針圧型の音の違いに近いものが、
D/Aコンバーターの新旧にもあてはまるところはあるのではないか。
その疑問がある。

Date: 6月 21st, 2018
Cate: 冗長性

redundancy in digital(その1)

1998年にPowerBook 2400cを買うまでは、
SE/30を使い続けていた。

アクセラレーターを載せ、ビデオカードも取り付け、
メモリー増設も二回、ハードディスクも交換して使っていた。

愛着はあった。
けれど1998年時点でも処理速度は遅かった。
それでも使い続けていたのは、新しいMacを買うだけの余裕がなかったからだった。

PowerBook 2400cは、速かった。
同じ金額ならば、もっと速いMacもあったけれど、これを選んだ。
PowerBook 2400cの処理速度でも、速かった。

翌年にはPowerBook G3にした。もっと速かった。
デジタルの信号処理能力は、新しいほど速い。
パソコンの進歩も、実に速い。

それと比較すると、デジタルオーディオ機器の進歩は遅く感じがちだ。
それでもD/Aコンバーターの基本性能は、確実に向上している。

20年前、30年前のD/Aコンバーターは大きかった。重かった。
そして高かった。

いまは掌にのるサイズのD/Aコンバーターがある。
基本性能を比較すると、掌サイズのD/Aコンバーターが優れている。

こんなに小さくて、低価格だからとあなどれない。
DSDも11.2MHzまで対応しているモノも当り前になっている。

現在のモデルでも、むしろ高価格帯のD/Aコンバーターのほうが、
11.2MHzへの対応は遅かったもする。

音の良さは、基本性能の高さだけで決るわけではないが、
それにしても基本性能の向上は、なかなかすごい。
ワクワクもする。

Date: 6月 12th, 2015
Cate: 冗長性

冗長と情調(を書きながら……)

オーディオにおける冗長性について書こう(書けるかな)と思ったのは、2008年9月。
ブログをはじめたばかりのころ、「redundancy(冗長性)」を書いている。

けれどそのまま放っておいていた
続きを書こうとは思っていたけれど、
「redundancy(冗長性)」のタイトルのままでは、先を書けなかった。

ここにきてやっと「冗長と情調」というタイトルを思いついた。
このタイトルにして、やっと続きが書けるようになったし、
書きながら、あれもそうだったのか、これもか、とこれまで、ばらばらのこととおもえていたのが、
関連していることに気づいている。

瀬川先生が求められていた音に関してもそうだ。
なぜイギリスとアメリカのふたつのスタジオモニターを鳴らされていたのか、
なぜEMTのカートリッジだったのか、
なぜLNP2にバッファー用にモジュールを追加されていたのか、
他にもまだある。

とかにくそういったことがやっとひとつにつながっていっている。