Date: 7月 18th, 2018
Cate: 冗長性
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redundancy in digital(その4)

1970年代後半の国産のアナログプレーヤーの大半は、
オルトフォンのSPUというカートリッジを、いわは無視していた、ともいえる。
付属のトーンアームでゼロバランスがとれないのだから。

SPUという旧型のカートリッジをつかいたい人は、
単体のターンテーブル、単会のトーンアームを購入して、
プレーヤーシステムを自作してください──、
それがメーカーの、言葉にしてはいなかったが主張だった。

少なくとも、1976年秋に、
オーディオに興味をもった中学生の目には、そう映っていた。

SPUというカートリッジは特別な、というよりも特殊な存在のようにも感じていた。
世の中の多くのカートリッジは軽針圧の方向にまっしぐらという雰囲気だった。
カートリッジの自重も軽くなっていた。

アナログディスクの細い複雑な溝を正確にトレースするために、
しかもディスクは完璧なフラットではなく、多少なりとも反っているわけだから、
頭で考えれば軽針圧のカートリッジが、有利に思える。

事実、有利なところもあった。
けれど軽針圧カートリッジの中には、
アナログディスクの片面を通してトレースできないモノもあったときいている。
極端な軽針圧カートリッジの中には、極端に盤面のホコリに弱かったからだ。

そんな極端な軽針圧カートリッジは例外としても、
トラッキングアビリティの向上は明らかだったし、
SPUはその点でも、旧型に属するカートリッジでもあった。

けれどそれら数多くのカートリッジのなかで、いまも生きのびているのはSPUである。
カートリッジとしての性能は明らかに、
SPUを上廻っているモノはいくつもあったにも関らずだ。

音がいいから、がその答となるわけだが、
では、なぜそうなのかを考えずにはいられないし、
カートリッジの軽針圧化と現在のハイレゾ化は、どこか似ているようなところも感じる。

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