Archive for category デザイン

Date: 8月 6th, 2018
Cate: デザイン

SG520とC240(その2)

C240以前のアキュフェーズのコントロールアンプは、C200(S)とC220だった。
C200はフロントパネル下部にヒンジドパネルを、
C220はフロントパネル中央にサブパネルをもつ。

C240は、プッシュポタンを多用したデザインでも話題になった。
ボタンの数は57、レバースイッチは1、ボリュウムを含む回転式は4、
そしてヒンジドパネルもサブパネルも、C240にはない。

C240の四年後に登場したC280にはヒンジドパネルがある。

実をいうと、そのころはC240にヒンジドパネルがないことを、特に意識していたわけではなかった。
瀬川先生のデザインということは、割とと早くから知っていた。
それでもヒンジドパネルがないことにもちろん気づいていたけれど、
そのことを深く考えもしなかった。

C240とペアとなるパワーアンプのP400にもヒンジドパネルはない。
P400以前のP250、P300にはヒンジドパネルはある。

チューナーのT104にもない。
T100にはある。

C240、P400、T104のシリーズは、ヒンジドパネルを省いている。
この意味を考えるようになったのは、
SG520とC240を比較するようになったからである。

SG520はマークレビンソンのLNP2登場まで、
瀬川先生が使われていたしC240は瀬川先生のデザインであること。
このふたつの事柄を、なぜかそれまで結びつけようとは思わなかった。

関係のない、二つの事柄としか捉えていなかった。
それが、ある日、あっ、そうだ! と気づいた。

C240は、SG520をメインのコントロールアンプとして使われていた瀬川先生のデザインなんだ、と。

Date: 8月 5th, 2018
Cate: デザイン

SG520とC240(その1)

JBLのコントロールアンプのSG520とアキュフェーズのC240。
私が並べて、そのデザインを比較してみたいコントロールアンプである。

コントロールアンプのデザインで、それに続くデザインに大きな影響を与えたのは、
マランツのModel 7がよく知られている。

SG520は、どうだろうか。
そのデザインは、発表当時、話題になったことは知っている。
いまもコントロールアンプのデザインの傑作のひとつに挙げられる。

私も一時期SG520は使っていた。
SG520はグラフィックコントローラーとも呼ばれていた。
1964年にSG520のデザインは、大きな衝撃だっただろう。

そういえばSG520以前にヒンジドパネルを採用したオーディオ機器はあったのだろうか。
詳細に調べたわけではないが、SG520はかなり早い時期からヒンジドパネルを採用していた。
少なくとも、私の中では、SG520のデザインについて、ヒンジドパネルのことをまず語りたくなる。

SG520はロータリー式のレベルコントロールも入力セレクターはない。
スライド式のボリュウム、バランサー、トーンコントロールに、
ボタンによる入力セレクターとモード切替え、
それまでのコントロールアンプを見慣れた目には、新鮮だったはずだ。

SG520は瀬川先生も使われていた。
瀬川先生はModel 7も使われていた。

アキュフェーズのC240は、瀬川先生のデザインによるコントロールアンプである。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その4)

黒田先生がフルトヴェングラーについて書かれている。
     *
 今ではもう誰も、「英雄」交響曲の冒頭の変ホ長調の主和音を、あなたのように堂々と威厳をもってひびかせるようなことはしなくなりました。クラシック音楽は、あなたがご存命の頃と較べると、よくもわるくも、スマートになりました。だからといって、あなたの演奏が、押し入れの奥からでてきた祖父の背広のような古さを感じさせるか、というと、そうではありません。あなたの残された演奏をきくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき、同時に、この頃ではあまり目にすることも耳にすることもなくなった、尊厳とか、あるいは志とかいったことを考えます。
(「音楽への礼状」より)
     *
クラシックの演奏だけでなく、多くのものが、
よくもわるくも,スマートになっていっているように感じる。

フルトヴェングラーの演奏によって、
《きくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき》
とある。
だからこそ、若い人であっても、あらゆる世代の人がフルトヴェングラーの演奏を、
いま聴く。

時代の忘れ物に気づかさせてくれる演奏──、
だけではないはずだ。
だけであったら、寂しすぎる。

時代の忘れ物に気づかさせてくれる音(オーディオ)、
時代の忘れ物に気づかさせてくれるデザインがある、と信じている。

それは古いモノに限らない。

Date: 7月 9th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その7)

一年ほど前のことだった。
信号待ちしていたら、近くにいる小さな女の子が、
歩行者用信号についている白杖マークのボタンを押そうとしていた。

一緒にいたお母さんが
「押しちゃダメ。そのボタンは目に障碍のある人が押すんだから」
と制止した。

小学校のときだった、
先生が、あのボタンは視覚障碍者のためのボタンだから、むやみに押してはダメ、
そんなことをいっていたのは記憶にある。

でも冷静に考えてみればおかしな話だ。
視覚障碍者は、あのボタンがあることに気がつかないのだから。

あのボタンは、信号待ちしているときに、近くに、もしくは反対側に、
白杖の人がいたら、代りに押すためのもののはずだ。

それなのに、そうやって使っている人を、これまで一度も見たことがない。
つい数ヵ月前に、あまり通らない信号で青になるのを待っていたら、
かすかな電子音がしているのに気づいた。

白杖マークのボタンが新しくなっていた。
赤で待っているときに、視覚障碍者であっても、
音で近くにボタンがあることを知らせている。

やっと改良されたのか、と思った。
それでも、このタイプのボタンは、まだ他では見かけていない。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その6)

その5)の日付は、2014年7月。四年も開けてしまった。

その四年のあいだに、セブン・イレブンのコーヒーマシンも、
最初から日本語表記が加わるようになった。
それでも店舗によってはシールが貼られていたりする。

四年前と比べれば、シールの数、大きさも減って小さくなっているけれど、
それでもゼロになっているわけではない。

昨年からだったか、セブン・イレブンではカフェラテもラインナップに加わる。
それにともない、これまでのコーヒーマシンの幅をかなり広くして、
カフェラテにも対応できるマシンが設置されている。

このマシンの扱いが、また面白いというかおかしなことになっている。
そのまま設置してある店舗もある。
けれど、このマシンは、紙コップを置くところが二つある。

これまでのコーヒー用とカフェラテ用である。
注ぎ口を共通にしなかったのは、味とアレルギーにこだわってことだろう。

そういう造りだから、
二杯(コーヒーとカフェラテを一杯ずつ)同時に淹れることもできる。
けれど、実際にはどちらか一杯ずつである。

さほど大きくない店舗で、コーヒーマシンが一台のみだったら、まだいい。
客が多く訪れドリップコーヒーの売行きが多いところでは、複数台設置してある。

そんな店舗の中には、カフェラテ/コーヒーマシンに、べったりと貼紙がしてある。
いくつかの店舗でそうだった。

カフェラテ/コーヒーマシンなのに、カフェラテ専用マシンにしている。
貼紙にもそう書いてある。
コーヒーを淹れたい人は、これまでのコーヒーマシンでどうぞ、ということだ。

注意書きの貼紙だけでなく、
コーヒーを淹れるためのボタンの上にも貼紙がしてあり、
紙コップを置くところのアクリルのカバーにも、べったり貼紙がしてある。

ほぼ二台分の横幅をもつカフェラテ/コーヒーマシンなのに、
こういう扱いになっている。
ならば最初からカフェラテ専用マシンで、横幅を従来のコーヒーマシンと同じにした方が、
占有面積も減って、もう一台設置できそうである。

そんな扱われ方をしているのを実際に見てしまうと、
有名デザイナーによるデザインに、セブン・イレブンの人たちは、
何も疑問を感じなかったのか、と思う。

セブン・イレブンのドリップコーヒーは、売行きをみても成功している。
けれど、そのマシンに関してはそうはいえない。

Date: 6月 15th, 2018
Cate: デザイン

表紙というデザイン(テクニクスのSL1000Rの場合)

やはりanalog誌の表紙も、テクニクスのSL1000Rだった。
5月発売の管球王国、
6月になってからステレオサウンド、無線と実験、
すべて表紙はSL1000RかSP10Rだった。

どの表紙がいちばん良かったか。
やはりステレオサウンドでしょう、という人が多いのかもしれないが、
私は、あえて順位をつけるなら、analogである。

写真として優れていたから、という理由ではない。
ターンテーブルシートを装着した状態の写真であったからだ。

管球王国の表紙もターンテーブルシートは装着されているが、
アナログディスクが載った状態なので、ターンテーブルシートの存在はほぼ感じない。

SP10R、SL1000Rが発表されたときから感じていたのは、
なぜターンテーブルシートを外した写真ばかりなのか、だった。
ターンテーブルシートは単体での写真だった。

どの写真も真鍮製のプラッターを露出させたままだった。
ターンテーブルシートがなく、
真鍮製のプラッターの上にじかにアナログディスクを置くのが、
テクニクスの推奨する聴き方だとすれば理解できるが、どうもそうではない。

なのに、どのオーディオ雑誌もゴム製のターンテーブルシートを無視している。
ステレオサウンド 207号では表紙だけでなく、
三浦孝仁氏の紹介記事中での写真でもターンテーブルシートは無視されている。

アルミ製のベースの色と真鍮製の色とのコントラストを強調したいのか、
それにしてもくどいし、そればかり見せられても……、と思っていた。

なぜ実使用のスタイルではないのか。
そう思ってきた人は少なくないはずだ。

analogだけはターンテーブルシートを無視していなかった。

Date: 5月 17th, 2018
Cate: デザイン

鍵盤のデザイン(その3)

菅野邦彦氏による未来鍵盤の記事を読んで、
誰もが菅野邦彦氏の演奏で、未来鍵盤のピアノ演奏(音)を聴いてみたい、と思うだろう。

オーディオラボでの録音を聴いてきた人ならば、絶対に思うはずだ。
私もそうだった。

それもできればDSD録音で聴いてみたい、と思った。
このことは同時に思ったことがある。

この鍵盤は、バッハの曲のための鍵盤である──、
そう思えてならなかった。
特に理由はなく、直観でそう感じた。

未来鍵盤(王様鍵盤)でのバッハ演奏。
できれば平均律クラヴィーアを聴きたい。

Date: 5月 13th, 2018
Cate: デザイン

鍵盤のデザイン(その2)

一年前に(その1)を書いたままだった。
未来鍵盤のピアノを、菅野邦彦氏の演奏で聴きたい、と思って一年がすぎたわけだ。

GQ JAPANの記事「ピアノ300年の歴史を変える──未来鍵盤が音もデザインする」、
いったいどれだけの人が読んだのだろうか。

この記事を読んだときには、「菅野邦彦」で検索することはしなかった。
われながら不思議に思うけれど、やらなかった。

今日、やってみたら、菅野邦彦氏の公式サイトがあるのに、いまさらながら気づいた。
このサイトによると、未来鍵盤のピアノがあるのは、下田ビューホテルであるのがわかる。

ライヴスケジュールも確認できる。
東京や各地でのライヴの当日と翌日以外は、連日行われている。

菅野邦彦氏の公式サイトを見ていたら、クラウドファンディングが行われていたことを知った。
5月1日で締め切られていて、目標額には達しなかった、とある。

プロジェクトは、未来鍵盤の完成形「王様鍵盤」の製作、それによる録音(CD制作)という内容。
目標額は四百万円。1/3ほどが集まった、とある。

現在ある未来鍵盤と、その完成形の王様鍵盤とには、
どれだけの違いがあるのか、はっきりしないが、
こういうプロジェクトをやったことのない者が思うに、
なぜ、ふたつのことを、ひとつのプロジェクトでやろうとしたのか、という疑問である。

まず未来鍵盤の良さを伝えることだけに集中すべきだったのではないのか。
GQ JAPANの記事によれば、未来鍵盤は完成している、とあるのだから。

Date: 4月 24th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その22)

そこにあったハンガーは、たしかにハンガーなのだけれど、
いわゆるハンガーではなかった。

いろいろなモノがデザインされていることは、
まだ若造だった私でもわかっていたけれど、
ハンガーがこんなに美しくデザインされるなんて──、
想像をはるかに超えていた。

買おうと思えば変える値段だった、と記憶している。
でも買わなかった。

いつか、この美しいハンガーが似合うような環境を実現したら……、
そんなことを思って、買わなかった。
(もっとも、オーディオを最優先していたことも理由なのだけれど)

後になって、その時買っておかなかったことを後悔する。
後悔したときに、そのハンガーをデザインしたのが、誰なのかを知った。

倉俣史朗氏のデザインだった。
その店は、倉俣史朗氏のデザインしたモノばかりがあった(はずだ)。

そのころは倉俣史朗氏の名前も知らなかった。
知らなくても関係なかった。

あれだけ美しいハンガーを見たのは、それ以降ない。
そしてアクリルは、こんなにも美しく仕上がるのか、と感嘆した。

これを書くにあたって、Googleで「倉俣史朗 ハンガー」で検索しても、
私の記憶にあるハンガーは出てこない。
記憶違いなのか……、とも思うけれど、あれだけインパクトのあるハンガーのことを、
その材質のことを勘違いしているとも思えない。

Date: 4月 24th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その21)

六本木交叉点を東京タワーに向って進む。
しばらく行くと、ステレオサウンドが以前入っていたビルがある。
さらに進むと、AXISビルがある。

私がステレオサウンドで働き出したのは1982年1月。
AXISビルは1981年9月23日にオープンしている。

出来たばかりといえる、真新しいそのビルは、
田舎から出てきて、一年弱の私にとっては、ひとりで入るには気後れしそうな感じがあった。

AXISビルの地下一階に和食の店があった。
そこには、先輩に連れられて昼食に行っていた。
いまも和食の店は入っているが、違う店である。

週に一回は必ず行っていた。
先輩と一緒だから、最初のうちは行けた、ともいえる。
慣れてきてからはひとりでも行くようになったけれど、
それでもAXISビルのすべてを見てまわるのは、まだまだ早いような気がしていた。

地下一階の和食の店のすぐ近くの店は、特にそうだった。
ガラス張りだから和食の店に行くために、その店の前を通る。
どんなモノが置いてあるのか、なんとなくわかる。

近寄り難い雰囲気を、勝手に感じていて、なかなか中に入る勇気が出てこなかった。
入ってみたい、とは思ってても、入れなかった。

若さはバカさ、で、思い切って入ってしまえばいいんだ、と言い聞かせても、
いつも素通りするばかりだった。

どのくらい素通りしただろうか。
なぜ入ってしまったのか、いまとなっては思い出せないが、
素通りしなかった日がある。

いまもはっきりと憶えているのは、ハンガーである。
なんて素敵なハンガーなのか、と思った。

Date: 4月 24th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その20)

瀬川先生は、ダストカバーの項目のひとつ前、コントロールスイッチのところで、
こんなことを語られている。
     *
 それから感覚的なことをいえば、さっきいったことの繰り返しになるんだけれども、パワースイッチ、あるいは速度調整のツマミを押し、あるいは回したときのボタンなりツマミなりレバーなりの感触──指ざわり──というものが、非常に冷たいメカニックな感じでなく、どこか暖かみというか、柔らかさを感じさせるオーガニックな感触であってほしい。
 つまり、レコードというビニールの材料を取り出して、ターンテーブルに載せる。このレコードを触った感触というのはある柔らかい感覚をもっている。その感触が手に残っている間に、同じ手でレバーなりボタンをなりをいじるのだから、そこに極端な違和感があるのは、ぼくはとってもおかしなことだと思う。いま柔らかいビニールを持った手が、こんどはすごくとがった、シャープなボタンをカチンと押すというそういう感覚は、ちょっとおかしいですね。非常にドライにストンとスイッチが入るよりも、ある種の粘りみたいなものが感じられる、やはり一種のオーガニックな動き方の方が好ましい。レコードの感触がそのまますべてに延長されているというのがいいプレーヤーだということを、ぼくは非常に強調したいわけです。
     *
EMTの930st、927Dstはそうだった。
レバーの感触には、ある種の粘りがある。
使っている(いた)人ならばわかるはずだ。

930st、927Dst、どちらにもダストカバーはないから、
使っている時には気づかなかったが、
ダストカバーには、レコードの感触が残っているうちに触れる。

このことを無視して、ダストカバーの材質、形状、それに操作性は語れない。

ダストカバーの材質が冷たく硬いもので、しかも角がとがっていたら……。
若いころは、プレーヤーのダストカバーがアクリル製が大半なのは、
安く作れるからだ、と思っていた。

確かに大量生産によって安価に生産できていたはずだが、
そればかりがダストカバーがアクリル製で、
ああいう形状なことの理由のすべてではないではないことに気づいた。

Date: 4月 24th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その19)

瀬川先生がダストカバーについて述べられていたのは──、
すぐに思い出せるのはステレオサウンド 40号の特集「世界のプレーヤーシステム最新50機種の総試聴」、
「瀬川冬樹の語るプレーヤーシステムにおける操作性の急所」である。

以下の項目について語られている。
 プレーヤー全体の大きさ
 インシュレーターとキャビネット
 ターンテーブルの形状
 ストロボスコープ
 センタースピンドルの形状
 トーンアーム
 トーンアーム(ヘッドシェル)
 トーンアーム(アームレスト)
 トーンアーム(アームリフター)
 トーンアーム(カウンターウェイト)
 コントロールスイッチ
 ダストカバー

ダストカバーには、性能的な問題と、
使ったときの心理的、機能的な問題がある、とまず語られている。

性能的なことでいえは、ペラペラなつくりであれば、ダストカバーを閉じた状態で、
ハウリングを誘発(もしくは増幅)することがある、と指摘されている。

40号では、「操作性の急所」がテーマとなっているから、
心理的、機能的な問題についてがメインである。

こう語られている。
     *
 ダストカバーの動き方の理想というのは、使用者の好みによって、どの角度でもとまってくれるのがいいのだけれども、それは普通の機械では無理ですね。しかしできれば、一番開けたところで90度まで開いて、そこから45度くらいまでの間ではフリーストップするというのが理想なのですけれどね。
 それから閉まる直前でバタンと落ちるのはまずいわけです。これは気分的な問題だけじゃなくて、実際レコードに針をのせてふたを閉めようとしたときに、ちょっと手がすべってカバーがバタンを落ちれば、針が飛んでしまったりする。
 話がそれるかもしれないけれども、昔の〝クレデンザ〟という蓄音器の名器はものすごく重いマホガニーのふただったけれど、それをたたきつけるように閉めようとしても、エアーダンパーが働いてスーッと静かにおりてくる。そういう設計をしてあったわけです。しかし、 いまのダストカバーに使われている蝶番のほとんどは絶対的な大きさが小さすぎるから、この程度のメカニズムではふたの重さをカバーしきさない。ですから、ある程度ていねいに扱ってやるよりないですね。
     *
ここで語られていることも、デザインに含まれる。

Date: 4月 22nd, 2018
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その4)

私がオーディオに興味を持ち始めたころは、
セパレートアンプブームが起きはじめていたころでもある。

つまり安価なセパレートアンプが各社から登場しはじめた。
ステレオサウンドを読みはじめのころ(1976年末から)、
プリメインアンプは20万円を超える機種は、例外的だった。

海外製品では、マッキントッシュのMA6100(378,000円)、
ラドフォードのHD250(249,000円)、
ギャラクトロンのMK10(300,000円)といったモデルがあったし、
国産でも、ラックスのL100(235,000円)、サンスイのAU20000(280,000円)、
ソニーのTA8650(295,000円)、ビクターのJA820(250,000円)、
マランツのModel 1200(325,000円)などがあった。

とはいえ、これらの機種は最新機種とはいえなくなっていて、
実際にステレオサウンド 42号のプリメインアンプ総テストには登場していない。

42号から二年後あたりから、20万円を超えるモデルが、
国内メーカーからも登場しはじめてきた。

たとえばマランツのPm8(250,000円)、アキュフェーズのE303(245,000円)、
ケンウッドのL01A(270,000円)、サンスイのAU-X1(210,000円)などだ。
Pm8について、瀬川先生は52号で次のように評価されている。
     *
 今回のテストの中でも、かなり感心した音のアンプだ。この機種を聴いた後、ローコストになってゆくにつれて、耳の底に残っている最高クラスのセパレートアンプの音を頭に浮かべながら聴くと、どうしてもプリメインアンプという枠の中で作られていることを意識させられてしまう。つまり、音のスケール感、音の伸び、立体感、あるいは低域の量感といった面で、セパレートの最高級と比べると、どこか小づくりになっているという印象を拭い去ることができない。しかしPm8に関しては、もちろんマーク・レビンソンには及ばないにしろ、プリメインであるという枠をほとんど意識せずに聴けた。
     *
プリメインアンプの水準が、それまでの枠から踏み出してきて、
同価格帯のセパレートアンプに匹敵するか、部分的には上廻るようになってきた。

そのころのペアで20万円ほどのセパレートアンプといえば、
思い出せないわけではないが、それほど印象深く残っているモノはない、といえる。

つまりセパレートアンプは、プリメインアンプ(一体型)では、
達成不可能なレベルに挑むための形態であり、だからこそセパレートアンプへの要求は、
プリメインアンプへの要求とは比較にならないほど厳しくなる。

このことは、当時のステレオサウンドにも、何度か指摘されていた。
私はそういう時代を経てきている。

Date: 4月 22nd, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その18)

ステレオサウンド 48号特集
「ブラインドテストで探る〝音の良いプレーヤーシステム〟」では、
ダストカバーが付属する機種に関しては、開いた状態での写真が撮影・掲載されている。

当時の広告は、というと、ダストカバー付きの写真のメーカーは少ない。
ダストカバーは外した状態、しかもヒンジまで取り外した状態での撮影もけっこうある。

ステレオサウンドも、組合せの記事、
たとえば年末の別冊「コンポーネントステレオの世界」では、
ダストカバーは取り外しての撮影である。

瀬川先生の「コンポーネントステレオのすすめ」でも、
ダストカバーは外しての撮影である。

だから48号でのダストカバー付きの撮影は、
しかも掲載されている写真はダストカバーの一部がカットされることなく、
そのプレーヤーの全景が掲載されているのは、評価すべきことである。

これが55号の「ハイクォリティ・プレーヤーシステムの実力診断」では、
ダストカバーを外した撮影となっている。

ダストカバーとは、ヤッカイモノなのか。
そんな印象を、知らず知らずのうちに植え付けられていたかも……、と思えなくもない。

国産のプレーヤーならば、安い製品であってもダストカバーはついていた。
アクリル製のダストカバーがついているのだが、
だからといって、ダストカバーを特註しようとすると、意外に高くつく。

ステレオサウンドにいたころ、ある人が、
ダストカバーなしのプレーヤーのために、アクリル製のダストカバーを、
アクリル加工を専門とするところに見積もりを出してもらったことがある。

もう正確な金額は忘れてしまったが、ちょっと驚くほどの金額だった。
「アクリルなのに、そんなにするんですか?」と訊きなおしたほどだった。

大量生産だから安くできていたのであって、一品製作となると、
アクリル製ダストカバーは決して安くはない。

Date: 4月 22nd, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その17)

瀬川先生のリスニングルームの写真をみても、
ダストカバーは取り外されている。

ステレオサウンド 38号特集での写真では、
EMTの930stとラックスのPD121があるが、
930stはもともとダストカバーはないし、PD121もダストカバーは取り外されている。

その少し前の写真では、PD121ではなくテクニクスのSP10があるが、
こちらもダストカバーは取り外された状態で写っている。

世田谷のリスニングルームでは、EMTの927DstとマイクロのRX5000+RY5500。
どちらにもダストカバーはもともとない。

中目黒のマンションではパイオニアのExclusive P3だった、ときいている。
ここではダストカバーはどうされていたんだろうか。
やはり外されたままで使われていたのか、それとも……。

私もダストカバーがないプレーヤーを使ってきた。
高校生のころはデンオンのダイレクトドライヴ型で、もちろんダストカバーはついていた。
最初のころは開閉していたが、途中から取り外していた。

閉じた状態の音、開けた状態の音、取り外した状態の音を比較して、
ダストカバーはヒンジにつけることもせず、
使わない時はプレーヤーにかぶせたままにしていた。

デンオンの後に使ってきたアナログプレーヤーは、いずれもダストカバーがもともとないモノばかり。

例外はテクニクスのSL10だ。
これはダストカバーにあたる部分を含めての全体構造であるため、
取り外したりはできないからである。