冗長と情調(その9)
ベーシック版のラインインプットモジュールB200を、
プレミアム版のP200よりも音がいい、という人の理屈は、
信号経路がシンプルだから、音の鮮度がいいはず、というものだった。
LNP2でREC OUTから信号を取り出す方が音がいい、というのと同じ理屈だった。
この理屈は聞くまでもなく予想できていた。
信号経路にアンプの数は少ないほうが、絶対にいい──。
その理屈がわからないわけではないし、
マーク・レヴィンソン自身が、ML6で市販品のコントロールアンプとしては、
これ以上機能を削ることはできないところで、音の純度を大事にしていたのだから。
マーク・レヴィンソンは自身が興したマークレビンソンを離れ、
Celloを興し、Audio Paletteを発表し、続けてAudio Suiteを出してきた。
マーク・レヴィンソンはインタヴューのなかで、
ピュアリスト・アプローチを忘れたわけではない、と語っている。
この言葉をどう受けとるか、どう解釈するのかは、
その人の自由(勝手)である。
ゲインが十分であれば、
信号が通過するアンプの数は少ない方がいいに決っている──、
これが間違っているわけではない。
けれど、絶対的に正しいことなのだろうか。
ここでのタイトルである「冗長と情調」について考えると、
Audio Suiteにおけるアンプ構成についてどうしても触れておきたかった。