Date: 8月 31st, 2020
Cate: 冗長性
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redundancy in digital(その8)

別項で書いているようにiPhoneを、
メリディアンの218に接続して音楽を聴くことが、私にとって当り前になってきている。

CDプレーヤーも使っている。
SACDを聴くときには、CDプレーヤーのアナログ出力をアンプに接続する。

それ以外、つまり通常のCDやMQA-CDを聴く場合には、デジタル出力を218に接続している。
CDプレーヤーの二つの出力(アナログとデジタル)を使い分けているわけで、
だからといってアンプの入力セレクターで対応はせずに、
その度にケーブルを接ぎかえている。

そこにiPhoneが加わると、接ぎかえが増える。
手間といえば手間だが、大変なことではない。
それでも、そろそろなんとかしようとは思いつつも、こんなことをいちいちやっているのも、
iPhoneでのMQA再生が、なかなかいいからである。

iPhoneとCDプレーヤー。
その大きさと重さは、比較するまでもなく、大きく違う。
消費電力もかなり違う。

ここでのテーマ、redundancy in digital(デジタルにおける冗長性)でいえば、
iPhoneは、冗長性の徹底的な排除をはかっている、といえるはずだ。

その成果は、iPhoneをオーディオ機器として捉えても、あると考えている。
デジタル機器としての完成度を高めるためには、
冗長性をなくしていくことは重要なことのようにも感じている。

そう思いながらも、(その2)で書いているように、
ワディアのWadia 2000、X64.4、同時代のD/Aコンバーターが気になってもいる。

ワディアの初期のD/Aコンバーターは、あのころ衝撃的だった。
おそらく、瀬川先生がマークレビンソンのLNP2をきいた時にうけられた衝撃に近い、
もっといえば同種の衝撃だった、とさえ思っているくらいだ。

その衝撃が、まだ残っているからなのもわかっている。
それでも、いまWadia 2000、X64.4を聴いたら、どんな印象を受けるのか、は気になる。

聴く機会はなかったけれど、ワディアのPower DACは、その意味でもっと気になる。

いま愛用している218は、冗長性は小さい、といえる。
そのD/Aコンバーターで、ラドカ・トネフの「FAIRYTALES」を聴いていると、
デジタルにおける冗長性について、どうしても考えてみたくなる。

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