春くらり(その2)
ステレオサウンド 49号で黒田先生は《「サンチェスの子供たち」を愛す》で、こう書かれていた。
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なにかというとそのレコードをきく。今日はたのしいことがあったからといってはきき、なんとなくむしゃくしゃするからといってはきき、久しぶりに友人がたずねてきてくれたからといってはきき、つまりしじゅう、のべつまくなしにきくレコードがある。そういうレコードは棚にしまったりしないで、いつでもすぐかけられるように、そばにたてかけておく。そうなるともう、そのレコードにおさめられている音楽を、音楽としてきいているのかどうか、さだかでない。
もしかすると、ききてとして、多少気持のわるいいい方になるが、そのレコードできける音楽に恋をしてしまっているのかもしれない。さしずめコイワズライ、熱病のような状態だ。若い恋人たちが、さしたる用事があるわけでもないのに、愛する人に会おうとするのに、似ている。きいていれば、それだけで仕合せになれる。
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黒田先生にとって1978年後半の、
そういうレコードがチャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」だった。
私にとって2026年の、そういうマンガが「春くらり」になる。
のべつまくなしに読んでいる、といえるほど読んでいる。
その「春くらり」が、3月2日公開の23話で最終回となる。
登場人物が少しずつ増えてきていたから、まだまだ続くものと思っていたけれど、そんな予感もあった。
一巻と二巻は発売日に買っている。iPhoneで読めるのだから買うこともないと考える人もいるだろうが、
長く連載が続いてほしいと思っているので、買っている。
「春くらり」を読んでいる人がどのくらいいるのかはわからない。そう多くはないのだろう。今回の最終回の発表は、打切りに近いのかも……と思う。
読み始めた時から、意外と連載は短いかも、という予感があった。根拠があったわけではないが、長いこと読んでいれば、なんとなくそう感じることがあるし、予感が当ることもある。
当ってほしくないときに当る。
黒田先生にとって「サンチェスの子供たち」は、あの頃頻繁に聴くレコードではあっても愛聴盤ではなかったはずだ。
「春くらり」の早い連終了は残念だし悲しいけれど、「春くらり」は愛読書といえるだろか。
《若い恋人たちが、さしたる用事があるわけでもないのに、愛する人に会おうとするのに、似ている。きいていれば、それだけで仕合せになれる。》
と黒田先先生は書かれている。
「春くらり」は、そういう位置にいる。
私も「サンチェスの子供たち」は手に入れてからしばらくは頻繁に聴いていた。なのにパタッと聴かなくなった。
「春くらり」も、そうなるのかもしれない。たぶんなると思う。
でも二十年以上経って、「サンチェスの子供たち」をまた聴くようになった。以前のような聴き方(頻繁さ)ではないが、ふと聴きたくなる時がある。
「春くらり」もそうなるのかもしれない。十年後か二十年後くらいにふと思い出して、また読む。
その時、どうおもいながら読むのだろうか。