ただ、なんとなく……けれど(その3)
今日は、夕方、友人のAさんと秋葉原で会っていた。
いつもと同じように、オーディオの話もしたし、それ以外の話もした。
以前は、大型のフロアー型スピーカーシステムに、
アンプもかなり大型のモノで、専用のリスニングルームで鳴らされていたAさんも、
いまはブックシェルフ型スピーカーをプリメインアンプという組合せである。
以前鳴らしていたシステムからは、ずいぶんスケールダウンしているのだから、
こういうことを書くと、あれこれいう人、
いわなくても心の中であれこれ思う人がいるだろう。
Aさんの話をきいていて、
Aさんは、いま本筋の音を鳴らされているんだな、と思った。
Aさんも、音楽を聴いていて、周りに誰もいない──、
そんなことを感じている、ということだった。
ハイエンドオーディオに変に偏っている人は、
その程度のシステムなんて、たいした音はしない──、というであろう。
でも、ハイエンドオーディオのシステムで聴いていても、
そういう気持になれないのであれば、
それは本筋の音といえるのだろうか、と返したくなる。
瀬川先生がステレオサウンド 56号に書かれていた「本筋の音」とは、
どういう音なのか。
そのことについての説明はなかった。
56号を読んだ時は、まだ10代だった。
本筋の音がどういう音なのか、はっきりと何もわかっていなかった、といまではいえる。
本筋の音とは、独りになれる音だ、といまならいえる。
だからこそ、スミ・ラジ・グラップのことば、
「人は孤独なものである。一人で生まれ、一人で死んでいく。
その孤独な人間にむかって、僕がここにいる、というもの。それが音楽である。」
を実感できる。