毅然として……(その15)
なぜ、こだわるのか、──このことも考えている。
私にラインスドルフのモーツァルトのレクィエムのことで電話してきた知人は、
そこでの演奏に感動していたからこそ、わざわざ電話をくれたのだった。
あえて確認もしなかったけれど、彼はラインスドルフのモーツァルトのレクィエムが、
ケネディの葬儀の実況録音であるから感動している節があった。
彼は何に感動していたのか、とおもう。
聴いていない演奏に対してあれこれいうのは控えるべきなのは承知しているが、
それでもラインスドルフの演奏が素晴らしかった、とは私には思えない。
もちろん人には一生に一度しか演奏できないレベルの音楽を奏でられるときがあるのはわかっている。
ラインスドルフにとって、それがこの時だったかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。
聴いていないのだから、これ以上はいえない。
それでも……と思いながら、知人の話を電話越しに聞いていた。
彼は、演奏会場での感動を、リスニングルームでも得たいのか、
演奏会場での感動の共有というものをしたいのだろうか、
──私はこういったことをオーディオを介して聴く音楽に求めていないことを、
知人の話をききながら自覚していた。