毅然として……(その17)
コンサートホールで音楽を聴く人のことを、聴衆と呼ぶ。
けれど家庭でオーディオ機器を介して音楽を聴く人のことは聴衆とは呼ばない。
聴き手と呼んだり、リスナーだったりする。
レコードと本は似ているところもあり、そうでないところもある。
本を読む人のことは読者という。
ならば音楽を聴く人のことは聴者ということになる。
実際に聴者という言葉はある。
けれど聴者という言葉は、読者ほど一般的ではないし、
コンサートホールで音楽を聴く人のことを聴衆とは呼んでも聴者と呼ぶことはまずない。
この「聴者と読者」については、
黒田先生がステレオサウンド 43号からの新連載「さらに聴きとるものとの対話を」で書かれている。
当時読んで、なるほど、と感心した。
コンサートホールで音楽を聴く。
私にとって、このことはほぼクラシック音楽をコンサートホールで聴くことを意味している。
そこでは音楽を聴くというのは、「個」の行為である。
この点においては、まわりに人がいたとしても、
家庭で一人で聴くことと本質的には違いはない。
クラシックのコンサートでは、皆息をひそめるように聴いている。
そして演奏が終る。
皆が拍手をする。
この拍手という行為は、「個」の行為といえるのか。
ここで聴衆になるといえるのか。
こんなことを考えながら、(その2)で書いた映画「仮面の中のアリア」の冒頭のシーンを思い出していた。
そこでの拍手について。