毅然として……(その11)
モーツァルトのレクィエムで、もうひとつ例をあげればヨッフムの演奏がある。
モーツァルト生誕200年記念ミサでの演奏をおさめたものである。
このヨッフムの演奏は、瀬川先生の「夢の中のレクイエム」で知った。
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もう何年も前たった一度だが、夢の中でとびきり美しいレクイエムを聴いたことがある。どこかの教会の聖堂の下で、柱の陰からミサに列席していた。「キリエ」からそれは異常な美しさに満ちていて、そのうちに私は、こんな美しい演奏ってあるだろうか、こんなに浄化された音楽があっていいのだろうかという気持になり、泪がとめどなく流れ始めたが、やがてラクリモサの終りで目がさめて、恥ずかしい話だが枕がぐっしょり濡れていた。現実の演奏で、あんなに美しい音はついに聴けないが、しかし夢の中でミサに参列したのは、おそらく、ウィーンの聖シュテファン教会でのミサの実況を収めたヨッフム盤の影響ではないかと、いまにして思う。一九五五年十二月二日の録音だからステレオではないが、モーツァルトを追悼してのミサであるだけにそれは厳粛をきわめ、冒頭の鐘の音からすでに身の凍るような思いのするすごいレコードだ。カラヤンとは別の意味で大切にしているレコードである(独アルヒーフARC3048/49)。
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「虚構世界の狩人」におさめられているので読まれた方も多い、と思う。
この「レクィエム」を聴きたい、と読んでいて思っていた。
にもかかわらずアナログディスクで買わなかったのは、
私が上京したときにはすでに廃盤になっていたのか──、
私がヨッフムのこの「レクィエム」のディスクを買ったのはCDになってからだった。
そのときのCDはヨッフムによる演奏だけをおさめたもので、冒頭の鐘の音はカットされていた。
瀬川先生が聴かれたヨッフムの演奏をそのまま収録したCDの発売は、またなければならなかった。