Date: 12月 29th, 2011
Cate: 挑発
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挑発するディスク(余談・その3)

シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェン。
発売になってすぐに購入していたので、約2ヵ月、毎日聴いていたわけではないが、くり返し聴いてきたが、
第九番だけは、せっかくだから年末までとっておこう、と思い、今日まで聴かずにいた。

年内に発売予定だったティーレマン/ウィーンフィルハーモニーによるベートーヴェンは、発売が何度か延期になり、
来年になってしまった。
ティーレマン/ウィーンフィルハーモニーによる第九番も、この時期聴いておきたかった仕方がない。
ただ国内盤に関しては既に発売になっていて、輸入盤ではなく国内盤にしてしまおう、と思っているけれど……。

交響曲といっても、ベートーヴェンとマーラーとでは、交響曲そのものもの音楽としての性格のつくられ方、
そういうものが大きく違っている。
ベートーヴェンの交響曲にはいま鳴っている、響いている音が次の音を生み出す、
ベートーヴェンにしかないといいたくなる推進力ともいえるものがあるけれど、
マーラーの交響曲(別にマーラーに限ったことではないけれど)には感じとりにくい、というより感じとれない。

そういうことも作用してのことだと思っているが、
ベートーヴェンの交響曲よりもマーラーの交響曲が、オーディオを介して聴く場合には、
微妙な響きのニュアンス、色調の再現性がより重要となってくる、ともいえよう。
もちろんそれだけではないけれど、ベートーヴェンの交響曲はモノーラルの古い録音でも、
聴きはじめは多少録音の古さを感じることもあるものの、さほど気にならなくなる。

マーラーの交響曲となると、すこし違ってくる。
できれば優秀録音とよばれるもので聴きたくなる欲求がこちら側につよく出てきてしまう、
そういうことを要求するところがある。

マーラーの音楽が聴かれるようになってきたのは、決してオーディオ(録音・再生)の進歩と無関係ではないはずだ。
録音さえよければそれでよし、とするわけではないが、
すくなくともマーラーの交響曲はベートーヴェンの交響曲以上に、
モノーラル録音ではなくステレオで聴きたい欲求は強い。

それがこの数年間のあいだに、私の中では変化してきた。
ベートーヴェンの交響曲こそ最新の録音で聴きたい、と思うようになってきている。

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