「音楽性」とは(オーディオショウにて・その1)
2018年のインターナショナルオーディオショウで、とあるブースに入った。
ある曲がかかっていた。
クラシックをあまり聴かない人でも、一度は耳にしたことのある曲が鳴っていた。
聴きながら、誰の指揮なんだろう、と考えていた。
少なくとも初めて聴く録音だった。
曲が終って、拍手の音がしてきた。
ライヴ録音だったのか、と気づく。
それにしても……、と同時におもっていた。
拍手は、熱狂的な演奏を聴いて拍手のようにおもえたからだ。
出展社のスタッフが、指揮者とオーケストラを伝えてくれた。
誰の指揮なのか書いてしまうと、そのブースが特定されるので書かないが、
その指揮者の別の演奏(録音)は聴いている。
その印象からすると、今回聴いた、その曲の演奏はあまりにも淡々としすぎていた。
もっと熱狂的な演奏だったのではないのか。
だからこその、演奏直後のあの拍手だったのではないのか。
そこで鳴っていた音は、特に大きな欠点はない。
低音もかなり低いところまで再生されていたし、
悪い音、ひどい音だった、という人はまずいないだろう。
私だって、そういうつもりはない。
けれど、あの演奏は、ほんとうにあんなふうなのか、という疑問だけは残りつづける。
自分で買って聴いてみればいいのだが、
買ってまで聴きたい曲でもないので、おそらく買わないだろう。
こんなことを書いていると、
その音には、音楽性が欠けていたんだろう、と受け止める人が出てくるかもしれない。
そういうことではないようにもおもう。
音楽性に欠けていた──、
そのひとことで片づけられるなら、楽である。
ただ、この音で、この音楽(録音)を、鳴らしていた人は聴いているのか。
もちろんその人は自宅では違うシステムで聴いているのであろう。
けれど、鳴らし方そのものは、その人のオーディオ観の顕れだとおもうから、
大きくは違っていないはず──、そういえるとも思う。