Date: 11月 18th, 2018
Cate: 音楽性
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「音楽性」とは(オーディオショウにて・その2)

満足のいく音が出せなくとも、オーディオショウだから音を出さないわけにはいかない。
では、スタッフはどんな表情だったかというと、
決して不満げではなかった。
むしろ自信ありげだったように、私にはみえた。

少なくともスタッフの人は、そこで鳴っている音に、特に大きな不満は感じていなかった──、
そう思っていいだろう。

そこでスタッフが首を傾げていたり、神経質そうな顔をしていたら、
ここで、こんなことは書いていない。

そういえばオーディオショウで、神経質そうに耳をかしげているスタッフは見た記憶はない。
みな、自信あっての音なのだろう。

もっともそういう状態の音出しであっても、
それはやはり、音を出している人のオーディオ観がうかがえる、ともいえる。

今回、とあるブースで鳴っていた音は、空々しい、といえる音だった。
冷たい音というわけではなく、空々しい音だった。

耳を傾けようとするほどに、音楽が遠くに感じられる音(鳴り方)だった。
きっと五味先生が聴かれたら、肉体のない音といわれるだろう、とさえ思っていた。

確かに、そんな鳴り方だった。
オーケストラのそれぞれの楽器の自分のパートのところだけで、
ポッと浮んでは、鳴り終るとすっと、その存在までもなくなってしまう感じとでもいおうか。

それぞれの楽器の音はクリアーだ。
悪くはない。

この人は、こういう音で聴いているのか。
こういう音で聴いていて、この音楽を楽しめるのか。

音楽の楽しみ方は、人によって違うものだ。
この日、このブースでかかっていた曲を、こんなふうに聴いても楽しめる人もいよう。
私が、まったく楽しめない、というだけの話かもしれない。

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