真夏の夜の戯言(その6)
モノーラル音源からの完全な、
それぞれの楽器の音の分離が可能になったとして、
いずれ将来的にはすべての処理がデジタル信号処理で行われるはずだが、
そこまでの過渡期として、一時的には、一度アナログに変換して、
それぞれの楽器の音をスピーカーから鳴らして、
それらの集合音をマイクロフォンでとらえるということが行われるように考えている。
完全な分離が可能になっとしても、それぞれの楽器の音はモノーラルなのだから、
つまりは点音源といえる。
その点音源の楽器の音を、オーケストラの位置に配置したところで、
そのままではモノーラル音源の集合体で、そこには楽器のハーモニーは存在しない。
技術が進歩すれば、モノーラル音源の各楽器の音からも、
複数のヴァイオリンやヴィオラ、チェロが鳴っているようにできるだろう。
けれど、そこまでは道のりがどの程度かかるのか。
意外に早いのかもしれないし、かなり時間を必要とするのかもしれない。
ならば各楽器の音を分離できた時点で、
スピーカーの集合体というオーケストラを組み、
それぞれの楽器の位置に配置されたスピーカーから、割り当てられた楽器の音を鳴らす。
それをもう一度マイクロフォンでとらえる。
元の録音がなされた同じホールでの収録がいいのか、それとも別の音響特性のところがいいのか。
ふつうに考えれば、同じホールでやるのがいいと思われる。
スピーカーにどんなモデルを使うのか。
楽器によってスピーカーを変えた方がいいのか。
それから楽器ごとのスピーカーの数はどうするのか。
かなりの試行錯誤が求められるだろうが、うまくいけば……、と思っている。
一度録音した音源を、スピーカーから再生してもう一度録音するという手法は、
以前からあるものだ。
ある有名なジャズのライヴ録音はモノーラルで収録されているけれど、
複数のスピーカーから再生して、その音を収録することで、
モノーラル録音だとは思われていない例があるし、
別項で書いているパヴァロッティの映画「パヴァロッティ 太陽のテノール」では、
同じような手法がとられている。
スピーカーの数を増やすのか、マイクロフォンの数を増やすのか、
両方の数の兼合いのうまいところが見つかれば──、
そんなことを考えるのはけっこう楽しいものだ。