カラヤンと4343と日本人(その18)
カラヤンの「ローマの松」と「ローマの泉」については、
ステレオサウンド 49号、岡先生の「クラシック・ベスト・レコード」のなかで、
すこし詳しく書かれている。
少し長くなるが、引用しておこう。
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《ローマの松》はカラヤンにとって二度目の録音だが、《泉》は初めてである。その《泉》の出だしの弱音のなかに、朝日にきらめく水のしぶきを描写したようなイメージを、喚起せずにはおかないさまざまな楽器の点描の美しさはたとえようもない。空気の透明さと音彩の純度のたかさが素晴らしい。その精妙なピアニシモがあればこそ、フォルティシモのあざやかさが生きてくるのである。
この二、三年のカラヤンの録音は、ピアニシモをベースにしたダイナミックスの効果を、ひじょうに意識していることは明らかである。コンサートにおけるダイナミックスをそのままレコードにもりこむことは不可能であることはいうまでもないが、カラヤンは心理的にそのピアニシモをピアニシモまで拡大できるようなレコーディング効果を計算しているようにおもえる。たとえば《松》における、〝ジャニコロの松〟から〝アッピア街道の松〟への推移する部分である。ナイチンゲールの啼声の録音をつかうように指定されている〝ジャニコロ〟の最後の十四小節は、クラリネットのppのフレーズに弱音器をつけた弦が重ねられる。コントラバスを除く弦は十部に分奏される。ことに、ヴァイオリンは五部になっていて、pppからppppのトレモロが、順序を追って重ねられてゆく。その微妙な音の重なりかたによる効果が、きくものに幻想的なイメージを喚起して、アッピア街道を行進してくるローマ軍団の歩調がとおくから響いてくる終曲のムードをひきだすわけだが、その漸層的にたかまってゆく行進曲歩調のなかに、うすくつけられた弦が、リズムの和音のなかにめりこまず、絶妙な色彩的効果を添えるのである。
こういうバランスは、多分、コンサートホールできくにはよほど条件のよい席でなければ感じとれないにちがいない。また再生装置のグレードがちがってすも、ニュアンスの相違が出るだろう。こういう音の細密表現がうまく再生されると、きき手は本当に〝息をのんで〟ききほれてしまうにちがいない。カラヤンはマイクをとおしての最良のバランスを、オーケストラにもとめているにちがいないコントロールを行っているのである。
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カラヤン/ベルリン・フィルハーモニーによる「ローマの噴水」と「ローマの松」は、
1977年12月、1978年1月、2月の録音である。
「ローマの噴水」は、瀬川先生の文章にも登場してくる。
56号掲載のトーレンスのリファレンスのところに、である。
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たとえば、カラヤン/ベルリン・フィルの「ローマの泉」の第二曲(朝のトリトンの噴水)の噴水の吹き上がる部分。リファレンスの音は、ほんとうに水しぶきが上がってどこまでも吹き上げる。水のしぶきに、ローマの太陽が燦然ときらめき映える。このレコードの音は、ずいぶんきわどく録音されているが、しかしやかましいという感じにならない。残念ながら、私が目下愛用しているマイクロ二連ドライブ+AC4000MC、それにMC30では、どうしても少々上ずる傾向になりがちだ。エクスクルーシヴとEMT930stでは、しぶきが十分な高さに吹き上がらない。そういう迫真力で格段の差を聴かせておきながら、少々傷んだレコードをかけてみても、他のプレーヤーよりその傷みからくる音の荒れが耳につきにくいというのは、何ともふしぎである。
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TIDALとe-onkyo、どちらもMQA(96kHz)である。
TIDALでは「ローマの噴水」はMQAなのだが、「ローマの松」はMQA Studioと表示される。