所有と存在(その18)
(その1)を書いたのは2014年8月。
八年前のことで、TIDALはまだ立ち上げられていなかった。
TIDALの設立は2014年10月である。
MQAも登場していなかった。
インターネット配信で音楽を聴くようになるだろう、とは思っていたけれど、
それでもまだディスク中心がもう少しばかり続くものだ、となんの根拠もなしに思っていた。
MQAの音を2019年に聴いていなかったら、
いまもディスク中心だったであろう。
メリディアンのULTRA DACでのMQAの音を聴いて、
メリディアンの218を導入してからというもの、
MQAで聴きたいという気持は強くなるばかりで、
e-onkyoをまず使うようになったし、TIDALも使うようになった。
もともと私は音楽も音も所有できない──、と考えているわけだから、
存在してくれればいい、それを聴く権利を使えるようになればいい──、
と八年前よりも強くおもうようになってきている。
そんな私だってある時期までは、自分の部屋にLPやCDの枚数が、
少しずつ増えていくのが喜びでもあった。
同時に火事になったらどうしよう……、と真剣に考えるようにもなっていた。
留守にしていたときに火事になったら、どうすることもできない。
その時、部屋にいたら火の勢いによるが持ち出すことはできる。
けれど、すべては無理で、ではどれを諦めて、どれを持って逃げるのか。
そんなことを真剣に悩むこともあった。
そんなこと悩んだことがない──、
ある程度以上の枚数のディスクを所有している人ならば、
少なくとも一度や二度は考えたり悩んだりしたのではないのか。