ヘッドフォン考(その8)
五味先生の「いいヘッドフォンを選ぼう」。
*
なまなかなスピーカーで鳴らすより、いまや良質のヘッドフォンで聴くほうが、よっぽど、音楽的にも快美な音を楽しめることは、心あるオーディオ愛好家ならとっくに知っているだろうが、こんど二十日間ばかり入院を余儀なくされ、病室にデカい再生装置を持ちこむわけにも参らぬので、もっぱらFMの収録テープをヘッドフォンで聴いた。デッキはルボックスA700。ヘッドフォンは西独ゼンハイザーとオーストリアのAKGを併用したが、凝り性の私のことだから他にも国産品を二、三取り寄せて聴きくらべてみた。いろいろなことがわかった。ヘッドフォンにもデッキとの相性があること、かならずしも周波数特性の伸びは、高低域の美しさを約束しない——いいかえれば測定値の優秀さはそれだけでは音楽美に結びつかぬサムシングが、まだ音響芸術の分野にはあるという、以前からわかりきっていたことを、あらためて再確認したわけだ。
国産のヘッドフォンは、明らかにAKGなどと比較して高域はのびている。だが、そのピアノはスタインウェイやベーゼンドルファーの高音の艶っぽさをもっていない。おもちゃのピアノで、キンキラ鳴るだけである。ヴァイオリンのユニゾンも、どうかすれば砂をふくんだザラついた音になり、あの飴色をしたヴァイオリンの胴が響かせる美音ではない。ソース自体はFM放送だが、こんなにもFMの高域は美しいのかと、ゼンハイザーやAKGでは思わずうっとり聴きほれてしまうのだから、国産ヘッドフォンメーカーは猛反省してもらわねばなるまい。
きみが国産で聴いているなら、だまされたと思ってAKGかゼンハイザーのHD424、あるいはHD400の試聴をすすめる。HD400など九千八百円(一九七八年八月現在)という信じ難い安さで、しかも聴き心地は満点。
*
このころのヘッドフォンの数といまとでは、ずいぶん違ってきている。
しかも価格帯の幅も、いまのほうが広い。
ここで五味先生が書かれていることを読んで、
私も、一つヘッドフォンを──、と思っても、
ふところに余裕がある人ほど、どれを買おうか、と迷うことだろう。
ふところに余裕がなければ、買える価格帯がおのずと決ってしまうから、
選択肢は限られてくる。
ふところに余裕がある人でも、ヘッドフォンに出せる金額はこれくらいまで、
と上限をきちんと決められるのであれば、選択肢は絞られてくる。
とにかく自分で買える範囲で、いい音のヘッドフォンを選ぶ──、
それが当然のことだと、ずっと思っていた。
もちろん音がいいだけではなく、ヘッドフォンではかけ心地もひじょうに重要になる。
それを含めて選ぶわけなのだが、
あくまでも私のヘッドフォン選びは、屋内での使用である。
けれど外出時こそヘッドフォンが必要という人にとっては、
そしておしゃれに関心の高い人は、ヘッドフォンのファッション姓が重要だ、という。
音がよくてかけ心地もいい。
値段も手頃なヘッドフォンがあったとしても、
好みのファッションとの相性が悪ければ、選択肢に入らない、そうだ。