オーディオのプロフェッショナルの条件(その6)
オーディオ評論家(職能家)とオーディオ評論家(商売屋)。
数年前から、こう書いてきているだけでなく、
現在オーディオ評論家(職能家)はいなくなった、とも書いている。
オーディオ評論家(商売屋)と、その人たちのことを思っているけれど、
それでも読評よりは、ずっとまとも、というか、
少なくとも自分の立ち位置だけは明らかにしている。
それがオーディオ評論家(商売屋)であったとしてもだ。
別項で「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか」を書いている途中だが、
オーディオ評論家(職能家)とオーディオ評論家(商売屋)をいっしょくたに捉えるのは、
ミソモクソモイッショである。
オーディオ評論家(商売屋)と読評に関しても同じだ。
いっしょくたに捉えては、やはりミソモクソモイッショである。
私が小学生だったころと記憶しているが、
一億総評論家といわれていた。
いつごろいわれていたのか検索してみたところ、
いまの時代も、そう呼ばれていることを知った。
個人的には、十年以上まえから、
一億総アーティストだと感じているし、
だからといって、一億総芸術家とは呼びたくない気持がある。
いまの時代が、再び一億総評論家時代なのは、
インターネットの普及、SNSの普及があるのは明白だ。
そういう時代に、オーディオの世界で読評があらわれてきた。
私が読評と呼んでいる人からは、一億総アーティスト臭がしている。
私一人がそう感じているだけなのかもしれないが。