不遜な人たちがいる(その3)
不遜な人Aと不遜な人Bとがいる。
ソーシャルメディアを眺めていると、
不遜な人Aの投稿、不遜な人Bの投稿、
そのどちらにもコメントを書き込んでいる人がいる。
不遜な人Aも不遜な人Bも、ソーシャルメディアでの、いわゆる友人づくりには熱心なようだ。
実をいうと、不遜な人Aと不遜な人Bとも、私はソーシャルメディアでは友達である。
私から友達申請したのではなく、向うからの申請があったからだ。
不遜な人Aとも不遜な人Bとも直接の面識はない。
不遜な人Aと不遜な人Bの投稿、両方にわりと頻繁にコメントしている人とは、
ソーシャルメディア上でも友達ではない。
なのにどちらにもコメントしていることに気づくのは、
服に特徴があるからだ。
それにコメントの内容にも、あっ、あの人だ、と思わせるところがある。
この人は反論めいたコメントは、
不遜な人Aと不遜な人Bの投稿に対してはしていないようだ。
他の人に対してはどうなのかは知らない。
意外にきついことをコメントしている人なのかもしれない。
ただ不遜な人Aも不遜な人Bも、メーカーの技術者であり、
わりと名の知られている人だから、そういう態度なのかはどうかはなんともいえないが、
その人のコメントは、私が嫌うタイプのコメントである。
私が嫌っているから、コメントとして程度が低いとかそういうことではなく、
どこかご機嫌取り的でもあるし、
私は、あなたのいうことをきちんと理解しています、といいたげでもある。
もっといえば、どこか、新興宗教の初期の信者のようでもある。
そう感じていたところに、
(その2)へのTadanoさんのコメントさんのコメントがあった。