MQAのこと、オーディオのこと(その6)
周波数領域の特性よりも時間軸領域の特性こそ重要である、
と主張する人が増えてきている。
このことを言っている人たちのなかには、
周波数特性を狭義のほうで捉えていたりする人もいるわけだが、
以前、周波数特性については書いているので、ここではくり返さない。
時間軸領域の特性こそ、という主張に異論はない。
時間軸の重要性ということではMQAも、そこから生れた技術である。
けれどそんなことがいわれる前から、
気づいていた人たちはいた、と私は見ている。
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こうしたことをなぜいわなければならないのかというと、ジェームス・バロー・ランシングのスピーカーに対する姿勢というものをはっきりさせておきたかったからだ。あくまでも彼はスピーカーの高能率化を何よりも強く望んでいたに違いない。能率が高いということは彼にとって何を意味していたのであろうか。少なくともJBLサウンドを再建したときには、彼は家庭用のハイファイ・スピーカー・メーカーとしてスタートをきったはずである。つまり家庭用なのであるから、それほど高能率の必要はなかったのではないのか、当然そういう疑問が生じてくる。そう考えるとジェームス・バロー・ランシングが目ざした高能率とは音圧のためのではなく、もっと他のための高能率ではなかったのだろうか。他の理由──つまり音の良さだ。
周波数特性や歪以外に音の良いという要素を感じとっていたに違いない。その音の良さの一つの面が過渡特性であるにしろ、立ち上がり特性であるにしろ、それを獲得することは高能率化と相反するものではない。むしろ高能率イコール優れた過渡特性、高能率イコール優れた立ち上がり特性、あるいは高能率イコール音の良さということになるのではないだろうか。私にはジェームス・バロー・ランシングが当時において今日的な技術レベルをかなり見抜いていたとしか考えられない。そうでなければあれだけのスピーカーができるはずがない。
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岩崎先生の文章だ。
「オーディオ彷徨」にもおさめられている「ジェームズ・バロー・ランシングの死」の中に出てくる。
書かれたのは、1976年、雑誌ジャズランドの10月号である。
これを読んで連想することは人によって違うのかもしれないが、
私は、時間軸領域の特性の重要性を、すでにランシングはわかっていたはずだ。
理論的としてではなかったかもしれないが、
少なくとも感覚的にはわかっていた、と思っている。