手がかり(その9)
人の声といっても、
これもまたオーディオ機器によって、少なからず変化を受ける。
この項の(その4)でふれているローズマリー・クルーニーのレコード。
個人的にはローズマリー・クルーニーは、とくに好きな歌手というわけではない。
とはいえステレオサウンドの試聴室でくり返し聴いていると、
スピーカーやアンプなどによって、ローズマリー・クルーニーの年齢が変ったようになることがあるのに気づく。
そのレコードを録音したときの年齢にふさわしい鳴り方のときもあれば、
妙に若返って鳴ることもある。
その若返り方も、いろんな若返り方があり、
いかにもローズマリー・クルーニーの若いときは、こんな感じなんだろうな、と納得できる鳴り方もあれば、
この鳴り方はローズマリー・クルーニーではなくて、どこか別の歌手のように若返ってしまった、ということもある。
反対に老け込む鳴り方もある。
声に艶がなくなり、潤いもなくなってしまう。
そういえば、瀬川先生が「ふりかえってみると、ぼくは輸入盤ばかり買ってきた」のなかで、
アン・バートンの日本盤と輸入盤(オランダ盤)の音に違いについて書かれている。
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そうしてアン・バートンにのめり込んでいるのを知って友人が、オランダCBSのオリジナル盤を探してきてくれた。クラシックではマメにカタログをめくったり注文したりする私が、ポピュラーのレコードになると途端に無精になる。友人がオリジナル盤を探してくれなかったら、私はアン・バートンのほんとうの良さを聴けずに過ごしたかもしれない。
この違いを何と書いたらいいんだろうか。オランダ盤に針を下ろして、聴き馴れたはずの彼女の声が流れ始めた一瞬、これが同じレコード? と耳を疑った。これがアン・バートンなら、いままで聴いていたのはアン婆ァトンじゃないか――。われながらくだらない駄洒落を思いついたものだが、本気でそう言いたいくらい、声の張りと艶が違う。片方はいかにも老け込んだような、疲れて乾いた声に聴こえる。バックのヴァン・ダイク・トリオの演奏も、ベースはウッドでなくゆるんだゴム・タイヤを殴っている感じだし、ピアノやドラムスも変に薄っぺらで線が細く、キャラキャラいう。そのくせどこか古ぼけたような、それとも、演奏者と聴き手のあいだに幕が一枚下りているかのような、鮮度の落ちた音がする。
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アン・バートンがアン婆ァトンになってしまうのと同じように、
ローズマリー・クルーニーも、そんなふうに老け込んでしまうことがある。