「音は変らない」を考えてみる(コメントを読んで)
昨夜書いた記事についてのkadhirさんのコメントを読んでいて思うことがあった。
こう書かれている。
「なにをしても音が変わる、というのはつらいと感じる人がいると思います。
つらいというか苦しいというか。際限のない地獄(金銭面でも)のような。」
確かに、音がささいなことで変化することには、そういう面がある。
ステレオサウンドにいたころ(20代前半だった)、
おもに井上先生の使いこなしによって、
こんなことで音は変っていくのか、と驚き、喜んでもいた。
そして井上先生の使いこなしによる音の変化に触発されて、
自分でも、こういうところでも音が変化することを見つけていくことに没頭していた。
自分で発見できたときは、また嬉しかった。
音はほんとうによく変る。
何かやれば、大なり小なり音は変化していて、
それに気がつくかどうかであることがわかる。
使いこなしの技能を身につけ磨いていくには、
こういう時期も必要である。
けれどオーディオの楽しみは、こういうことを発見するばかりでもない。
こんなことでも音は変ってしまう。
その現実に対して、意識的に拒否してしまいたくなる人もいて不思議ではない。
オーディオの目的は、音を変える要素を見つけていくことではないのだから。
だから、いまでは、こんなことで音は変ってほしくない、という気持の方が強い。
「際限のない地獄」と表現されている、その気持はわかるといえばわかる。
(私は地獄とは思っていないだけの話で、際限のないのは、そのとおりである)
けれど拒否しようとしても現実には拒否なんてできない。
さまざまな変動要素により音は変ってしまう。
だから私は、無数にあると思える要素をでひとつでも多くコントロールできるようにしたいと思っている。
いま別項で「plus」というタイトルで書こうとしていることの一部は、
このことへとつなげていく予定である。
オーディオ機器の性能を向上させるために、
いくつもの「新」技術がオーディオ機器にプラスされてきた。
それらはあらたな変動要素ともなっている。