井上卓也氏のこと(その20・補足)
情報量という言葉を、はやい時期から使われていたのは井上先生だと、3週間ほど前に書いているが、
瀬川先生も、ほぼ同じころに、「情報量」を使われている。
ステレオサウンド 39号に掲載された「ふりかえってみるとぼくは輸入盤ばかり買ってきた」で、使われている。
※
直径30センチの黒いビニールの円盤に、想像以上に多くの情報量が刻み込まれていることは、再生機の性能が向上するにつれて次第に明らかになる。
※
情報量を、オーディオで使いはじめた人は、いったい、誰なのだろうか。いつから使われているのだろうか。
タンノイの代名詞となっている「いぶし銀」という表現も、誰が使いはじめたのだろうか。
五味先生の「西方の音」を読んでいると、「トランジスター・アンプ」の章に、いぶし銀そのものの表現ではないが、
ほぼ同じ意味合いの言葉が出てくる。
※
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
※
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。
となると五味先生の著書に登場される新潮社のS氏(齋藤十一氏)かもしれない。
いずれにしろ「英国の教養ある音」に使われていた形容詞が、
いつしかタンノイの代名詞へとなっていったわけだ。