音楽をきく(その7)
この項では、私が十代だったころの田舎での音楽体験がどんなものだったかを書いている。
その頃、熊本にはFM局はNHKだけだった。
テレビも同じ感じだった。
NHKが総合と教育の2チャンネル、民放は1チャンネルしかなかった。
民放が一局増えたのは、1969年。私が六歳の時で、私が熊本にいた頃は、増えることはなかった。
しかもUHF局だったため、開局したからといってそのままで受信できたわけではなく、
UHFコンバーターを買ってこなければならなかった。
新聞のテレビ欄は、隣の福岡の分も掲載されていた。こんなにテレビのチャンネルの数が違うのか。
その頃の田舎の子供の多くは、そう思っていたはず。
民放局のチャンネルが少ないということは、小学校時代、クラスの皆んなが見ている番組は、ほぼ同じだったということだ。
チャンネルの選択肢、番組の選択肢がほぼないに等しいのだから、そうなってしまう。
このことは、いまふりかえってみると、良かったことなのかも──、と思ったりもする。