Date: 3月 25th, 2022
Cate: コントロールアンプ像
Tags:

パッシヴ型フェーダーについて(その8)

グラフィックイコライザーとはまったく関係のないことと思われるだろうが、
ステレオサウンド 54号の瀬川先生の文章を読んでほしい。
     *
 本誌51号でも、計画の段階で、いわゆるライブな残響時間の長い部屋は本当に音の細かな差を出さないだろうか、ということについて疑問を述べた。あらためて繰り返しておくと、従来までリスニングルームについては、残響時間を長くとった部屋は、音楽を楽しむには響きが豊かで音が美しい反面、細かな音の差を聴き分けようとすると、部屋の長い響きに音のディテールがマスクされてしまい、聴き分けが不可能だといわれていた。細かな音をシビアに聴き分けるためには、部屋はできるだけデッドにした方がよい、というのが定説になっていたと思う。たとえば、よいリスニングルームを定義するのに、「吸音につとめた」というような形容がしばしば見受けられたのもその一つの証明だろう。
 現実にごく最近まで、いや現在、または近い将来でさえも、音を聴き分け判断するためのいわゆる試聴室は、できるかぎりデッドにつくるべきだ、という意見が大勢をしめていると思う。しかしそれならば、決して部屋の響きがデッドではない、一般家庭のリビングルームなどを前提として生み出される欧米の様々な優れたスピーカーやアンプやその他の音響機器たちが、何故あれほどバランスのよい音を出すのだろうか……。なおかつそれを日本の極めてデッドなリスニングルーム、つまり、アラを極めて出しやすいと信じられているリスニングルームで聴いても、なおその音のバランスのよさ、美しさ失わないか、ということに疑問を持った。その結果、部屋の響きが長い、ライブな空間でも、音の細かな差は聴き分けられるはずだと確信するに至った。部屋の響きを長くすることが、決して音のディテールを覆いかくす原因にはならない。また、部屋の響きを長くしながら、音の細かな差を出すような部屋の作り方が可能だという前提で、この部屋の設計を進めてきた。
 部屋の響きを美しくしながら、なおかつ音の細かな差をよく出すということは、何度も書いたことの繰り返しになるが、残響時間周波数特性をできるだけ素直に、なるべく平坦にすること。つまり、全体に残響時間は長くても、その長い時間が低域から高域まで一様であることが重要だ。そして減衰特性ができるかぎり低域から高域まで揃っていて、素直であるということ。それに加えて、部屋の遮音がよく、部屋の中にできるかぎり静寂に保つ、ということも大事な要素である。ところでこの部屋を使い始めて1年、さまざまのオーディオ機器がここに持ち込まれ、聴き、テストをし、仕事に使いあるいは楽しみにも使ってみた。その結果、この部屋には、音のよいオーディオ機器はそのよさを一層助長し、美しいよい音に聴かせるし、どこかに音の欠点のある製品、ことにスピーカーなどの場合には、その弱点ないしは欠点をことさらに拡大して聴かせるというおもしろい性質があることに気がついた。
 これはおそらく、従来までのライブな部屋に対するイメージとは全く正反対の結果ではないかと思う。実際この部屋には数多くのオーディオの専門の方々がお見えくださっているが、まず、基本的にこれだけ残響の長い部屋というのを、日本の試聴室あるいはリスニングルームではなかなか体験しにくいために、最初は部屋の響きの長さに驚かれ、部屋の響きにクセがないことに感心して下さる。反面、たとえば、試作品のスピーカーなどで、会社その他の試聴室では気づかなかった弱点が拡大されて聴こえることに、最初はかなりの戸惑いを感じられるようである。特にこの部屋で顕著なことは、中音域以上にわずかでも音の強調される傾向のあるスピーカー、あるいは累積スペクトラム特性をとった場合に部分的に音の残るような特性をもったスピーカーは、その残る部分がよく耳についてしまうということである。
 その理由を私なりに考えてみると、部屋の残響時間が長く、しかも前掲のこの部屋の測定図のように、8kHzでも1秒前後の非常に長い残響時間を確保していることにあると思う(8kHzで1秒という残響時間は大ホールでさえもなかなか確保しにくい値で、一般家庭または試聴室、リスニングルームの場合には0・2秒台前後に収まるのが常である)。高域に至るまで残響時間がたいへん長いということによって、スピーカーから出たトータル・エネルギーを──あたかもスピーカーを残響室におさめてトータル・パワー・エナジーを測定した時のように──耳が累積スペクトラム、つまり積分値としてとらえるという性質が生じるのではないかと思う。普通のデッドな部屋では吸収されてしまい、比較的耳につかなくなる中域から高域の音の残り、あるいは、パワー・エネルギーとしてのゆるやかな盛り上りも、この部屋ではことさら耳についてしまう。従って非常にデッドな部屋でだけバランス、あるいは特性を検討されたスピーカーは、この部屋に持ち込まれた場合、概してそれまで気のつかなかった中高域の音のクセが非常に耳についてしまうという傾向があるようだ。いうまでもなく、こういう部屋の特性というのは、こんにちの日本の現状においては、かなり例外的だろう。しかしはっきりいえることは、これまで世界的によいと評価されてきたオーディオ機器(国産、輸入品を問わず)は、この部屋に持ち込むと、デッドな部屋で鳴らしたよりは一層美しく、瑞々しい、魅力的な音で鳴るという事実だ。
 つまりこの部屋は、オーディオ機器のよさも悪さも拡大して聴かせる、というおもしろい性質を持っていることが次第にわかってきた。
(「ひろがり溶け合う響きを求めて」より)
     *
グラフィックイコライザーを菅野先生と同じレベルで使いこなせれば、
同じことがいえる。
もちろんグラフィックイコライザーをどんなに調整したところで、
リスニングルームの残響特性が変化するわけではない。

けれどうまく部屋のクセを補整していくことで、
オーディオ機器の音の違いは、よりはっきりと聴きとれるようになる。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]