2025年ショウ雑感(その14)
昨晩の(その13)では恥らいという言葉を使ったが、だからといってヴァイタヴォックスのCN191の音を、恥らいの音と表現するのには躊躇いがある。
恥らいと書いてしまうと、どこか、そして少しばかりネガティヴにも受け止めれかねない。
大きく外れていないけれど、微妙に誤解を招くとも感じる。
含羞。
辞書には、はにかみ、はじらい、とある。
それでも恥らいと含羞とでは、同じだろうか。
同じだろう、と言われれば、そうですね、と言ってしまうけれど、
CN191の音を聴いた人ならば、わかってくれるかもしれない、とも思っている。
含蓄のある音と、CN191の音をたとえることもできる。
でもそれだけではない、といまの時代のスピーカーを聴いた後だと、よけいに思う。
含羞のある音。
いまの私はそう感じている。