夏の終りに(その2)
ヨハン・ブリュイネールは1999年にアメリカの自転車チーム、USポスタルの監督となる。
このチームには、癌から復帰したランス・アームストロングがいた。
アームストロングはこの年のツール・ド・フランスで初の総合優勝、
この後2005年まで総合優勝を続けている。7連覇である。
アームストロング以前、総合優勝は5回が最高であったし、
インドュラインですら6回目の総合優勝は無理だった。
1996年はオリンピック・イヤーということもあり、
ツール・ド・フランスは通常よりも早く開催された。
そのためもあってのことだろうが、例年にない悪天候が重なり山岳ステージでは積雪によるコース短縮があったほど。
暑くなればなるほど強さを増していく、と言われているインドュラインにとって、
予想外の寒さにより、6連覇確実といわれていたし、
インドュラインの故郷、スペインのバスク地方をとおるコースが、レースの後半に用意されていた。
それまでのインドュラインならば、バスクを通るステージまでに総合優勝を確実なものにしていたはず。
けれど結果は総合11位に終ってしまう。
2004年、やはりオリンピック・イヤーのこの年、
アームストロングは6連覇を達成した。
自転車競技が盛んではないアメリカの選手、ランス・アームストロングによる偉業ともいえる。
アームストロングがドーピングをやっている、というウワサは以前からあった。
これについての詳細は省くが、8月24日、USADA(全米アンチドーピング機関)が、
アームストロングの1998年8月1日以降の記録のすべて抹消する、という宣言を出した。
アームストロングが本当にドーピングをやっていたのかは、はっきりとしない。
これから先もずっとグレーのままだと思う。
私はドーピングを完全悪だと捉えていない。
ドーピングは魔法ではない。
最新のドーピングをやったからといって、
すべての選手がツール・ド・フランスで何度も総合優勝できるわけではない。
ただ思うのは、
1995年の第7ステージで「ベルギーの恥」とまでいわれた卑怯な走りをしたブリュイネールのもとで、
アームストロングのドーピング疑惑は起っている。
アームストロングは、1995年のブリュイネールの走りを「クレバーな走り」だといっている。
所属するチーム監督のことをあからさまに批判する選手はいないだろうが、
それでもまったく否定せずに「クレバーな走り」といってしまうアームストロングに、
どこかなじめないものを、すこし感じていた。
アームストロングがチーム・モトローラ時代に乗っていた自転車のフレームはエディ・メルクス製だった。
メルクスが現役引退後はじめた会社によるフレームである。
アームストロングは、フレームの”Eddy Merckx”のロゴを指して、「誰なの?」と訊ねている。
アームストロングは1971年生れ、しかもアメリカ生れだし、
もともとはトライアスロンの選手だったから、
1978年に引退したメルクスのことは知らなくても当然といえば当然なのかもしれないが、
ヨーロッパの選手とは違うなにかが、そこにはあるように感じてしまう。