ちいさな結論(才能とは)
オーディオの才能とは、いったいどういうことなのか。
オーディオの才能の正体とは、なんなのか。
こんなことを、二十年ほど前から、ときおり考えていた。
別にオーディオの才能だけに限ったことではない。
たとえばスポーツ。
野球の才能とかサッカーの才能。
とにかく世の中には、さまざまな才能がある、ということになる。
あの人は野球の才能がある、とか、絵の才能がある、とか、
そんなことをいわれたりするけれど、
その才能そのもの正体については、ほとんど語られることはない。
それでも、○○の才能がある、という使われ方は、世の中に溢れている。
才能とは、多岐にわたるさまざまな能力(一つ一つはそう大きくはない)を、
ある目的のために統合化できる、ということだろう。
能力のネットワーク(システム)によって生み出されるものが、
才能の正体であり、
才能をのばす、ということは、そのネットワークを拡張していくということであり、
ハタチすぎればタダの人になってしまうということは、
ネットワークを維持するだけでせいいっぱいか、もしくは維持できなくなる、ということ。
オーディオの才能とは、その人が持っているいくつもの能力を、
どれだけオーディオのためにシステムとして構築できるかであり、
さまざまな変化に対応するということは、システムの再構築のはすだ。
こう考えていくと、スランプとは、再構築がうまくいっていない状態なのだろう。