菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド 210号・その6)
五味康祐という存在がなかったら、
ステレオサウンドは創刊されていなかっただろうし、
創刊されていたとしても、ずいぶん違ったものになっていたはずだ。
ステレオサウンドを創刊した原田勲氏にとっての五味先生の存在、
そこを無視してステレオサウンドは語れない。
五味先生が、ステレオサウンドの精神的支柱だった──、
と以前書いた。
そのことによって、ステレオサウンドにはストーリーをベースにしていた──、
ストーリーの共有、もっといえばストーリーによる対話が、
つくり手(オーディオ評論家、編集者)と読者とのあいだにあった。
私はそう感じていた。
だからこそ、ある時期までのステレオサウンドはおもしろかったし、
毎号わくわくしながら読んでいた。
それは、いつのころからか薄れていった。
稀薄になっていった。
そして菅野先生の死によって、
完全にステレオサウンドに、そのことを期待できなくなった(少なくとも私にとっては)。
ステレオサウンド 210号、211号の黛さんの文章は、
そのことを語っているとも、私は受け止めている。