ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その1)
これまで聴いてきたジャズのレコードは、
これまで聴いてきたクラシックのレコードの10分の1ぐらいでしかない。
しかも1990年以降に録音されたジャズのレコードは一枚ももっていない。
ジャズ好きの方からみれば、その程度のジャズの聴き手にしかすぎないわけだが、
ジャズの魅力は、徹底してインプロヴィゼーションにあることは、充分に感じている。
だから、以前、「使いこなしのこと」の項でも書いたように、
インプロヴィゼーションを大切にしているジャズの聴き手であるなら、
自分のオーディオの調整に誰かにまかせるべきではない。
菅野先生が「レコード演奏」という考えにたどりつかれたのも、
クラシックだけでなくジャズの熱心な聴き手でもあったことが関係しているはず。
ほんとうにジャズにおけるインプロヴィゼーションを大切にしている聴き手であれば、
ジャズのレコードを自分のオーディオ機器で鳴らすという行為は、
自分のオーディオ機器を楽器として、己のインプロヴィゼーションをそこでレコードを借りて演奏することのはず。
であるなら、そこでのオーディオ機器は、ジャズの演奏家にとっての楽器と同じである。
誰かに自分のオーディオ機器を調整してもらうということは、
己のインプロヴィゼーションを、
自分の楽器を赤の他人に渡して代りに演奏してもらう、ということではないだろうか。
このことを改めて考えていて思ったのは、
ジャズにとってのワイドレンジと、クラシックにとってのワイドレンジは、
共通するところもありながらも、そこにインプロヴィゼーションに関係する違いがはっきりとあり、
また別項「ベートーヴェン」のところでふれた動的平衡とも関係する違いがあり、
これは「いろ(ジャズ)」のワイドレンジと、
「かたち(クラシック)」のワイドレンジということがいえるはず、ということだ。