ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その2)
「よくマンガであるだろう、頭を殴られて目から火花や星が飛び出す、というのが。」
こんな出だしで、菅野先生が話してくださったのは岩崎先生の音について訊ねたときのことである。
「岩崎さんの音をはじめて聴いた時、ほんとうに目から火花が出たんだ。まるでマンガのようにね」と続けられた。
そのくらいの衝撃が、岩崎先生の音にはあったということでもある。
それは単に大音量ということだけにはとどまらない、岩崎先生ならではの音の衝撃なのだろうと思う。
いったいどういう音であれば、それを聴いて、目から火花が出るのを感じられるのだろうか。
大音量再生は、なんどか経験がある。
ただ音量が大きいだけのこともあったし、ひじょうに優れた大音量再生もあったが、
いずれもそれは空気のマスとしての大音量再生であったから、
そこでパルシヴな音が鳴っても、頭をガーンと殴られて目から火花が出る、ということは微塵もなかった。
おそらくこれから先も、そういう音を聴くことはない、と思っている。
それに近い音を聴くことはあるかもしれないが、
菅野先生が体験された岩崎先生の音と同じ衝撃を体験できる音は、
もう岩崎先生がこの世におられないのだから、もう想像していくしかない。
いったいどういう音なのか、は、岩崎先生の文章の中にヒントがある。
というより答そのものである、というべきか。
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アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
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この岩崎先生ならではの「表現」は、もうなんども読み返した。
別項「40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏)」でも、すでに引用している。
今後も、また引用することになる、と思っている。
これが岩崎先生の音であり、これを実現されていたからこそ、
菅野先生が火花を感じられた、といえるのではないか。