オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その25)
《いまは、恥じらいなどというものがまるでない、しったかぶりと自己宣伝全盛の時代である。》
ステレオサウンド 61号(1981年12月発売)、
「さらに聴きとるものとの対話を 内藤忠行の音」で、黒田先生が書かれている。
1981年は四十年以上前。
恥じらいなどというものがまるでない、しったかぶりと自己宣伝全盛の時代が、いまも続いているどころか、
ひどくなっている。
恥じらいが失われつつあるからなのか。
だとしたら、なぜそんなふうになっていったのか。
そして、このことは人に限ったことでもない。
オーディオ機器、それもハイエンドオーディオ機器の中には、
そう感じてしまうモノがないわけではない。
音のためだったら──、なんでもやっていいのだろうか。