Date: 11月 23rd, 2010
Cate: 朦朧体
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ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その27)

もう30年ちかく前のことだから、かなり記憶が曖昧だけれども、
とにかくSG520をつないではじめて、
それまで試したどんなコントロールアンプからも出しえなかった低音の凄み──、
そういうものがパトリシアン800から鳴ってきた、そんなふうに私の中に刻まれた。

この「凄み」のところに、じつはとらわれていたように、いまは思う。

PM510は、いま新品同様のものがあれば、
いまいちど真剣に鳴らしてみたい、と心のどこかにそういう気持ちがある。
その一方で、当時もいまも、スピーカーから鳴ってくる音に、
どこか「凄み」を内包していてほしい、という想いがある。

PM510の一方に、当時の私の中にはJBLの4343があった。
PM510には、JBLの、アメリカのオーディオ機器のもつ物量を投入したことによる凄みは、かけらもない。
そこがPM510の良さでもあるけれど、やはり昔は若かった。
PM510を鳴らすにしても、どこかに凄みがあってほしい。

だからこそ、スチューダーのA68、ルボックスのA740という選択ではなく、
スレッショルドの800Aを組み合わせたいと思っていたように、いまははっきりといえる。

1978年暮に出た「コンポーネントステレオの世界’79」の巻頭に、
1978年のオーディオ界の動向をふりかえって、瀬川先生がこんなことを書かれている。
     *
パワーアンプ単体では、これといった収穫はなかったが、スレッショルドが、製造中止してしまった800Aに代るハイパワー機として4000Cを発表したのが、久々の高級機として注目されそうだ。800Aのあの独特の、清楚でありながら底力のある凄みを秘めた音の魅力が忘れられなかっただけに、大いに期待している。
     *
「凄み」をもったパワーアンプは、この当時も他にもあった。
でも瀬川先生の文章にあるように、清楚でありながら底力のある凄みを秘めたものは、そうなかったはずだ。

だから、800Aだったのだ。そしてSG520なのだ、と感じていた。

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