オーディオ機器の付加価値(その13)
(その11)、(その12)は少し脱線してしまったので、
話を元にもどして(その10)の続きである。
私が高校生のころ、
私にとってステレオサウンドのステート・オブ・ジ・アート賞は、
賞本来の輝きを放っていた、とこれまで書いてきている。
いまのステレオサウンドのステレオサウンド・グランプリには、
その輝きはない。
ステレオサウンドの賞だけでなく、ほかのオーディオ雑誌の賞に関してもそうだ。
私が小学生のころ、
大晦日に行われていたレコード大賞は、まだ賞としての輝きを放っていたように思う。
小学生が感じていたことだから、実際のところはどうだったのか、
大人はどう感じていたのかはまではなんともいえないが、
それでも高校生になったぐらいのころから、出来レースだというウワサもあった。
いまでは、すっかり賞としての輝きはなくなっているのではないか。
賞がそうなっていくのは、オーディオの世界だけではないようだ。
そして賞が輝きを失っていくとともに、
付加価値が使われてくるようになった、といえないだろうか。
たとえばステレオサウンドのステート・オブ・ジ・アート賞の一回目は49号。
二回目は53号。
49号ではステート・オブ・ジ・アート賞だけが特集だった。
53号では52号からの続きで、
アンプの総テストとステート・オブ・ジ・アート賞の二本が特集だった。
ステート・オブ・ジ・アート賞のページ数は、49号からぐんと減った。
当然である。
49号は一回目だから、現行製品すべてが対象となるのに対して、
53号では49号以降の一年間で新発売になった機種のみが対象なのだから、
ステート・オブ・ジ・アート賞に選ばれるモデルは、ぐんと減る。
毎年毎年、ステート・オブ・ジ・アート(State of the art)の意味にふさわしい製品が、
そんなにポンポンと登場してくるわけがない。
ステート・オブ・ジ・アート(State of the art)をどう捉えるかにもよるが、
厳密に、真剣にステート・オブ・ジ・アート(State of the art)ということで選考していったら、
今年は該当機種なし、ということだって十分ありうる。