最後の晩餐に選ぶモノの意味(その8)
この項のタイトルは「最後の晩餐に選ぶモノの意味」であって、
「最後の晩餐に選ぶ曲の意味」ではない。
最後の晩餐に聴きたいスピーカー(というよりも、その音)がある。
その音で聴きたい音楽がある。
そのことを書いているだけである。
本末転倒なことを書いているのはわかっている。
聴きたい曲が先にあって、
最後の晩餐として、その音楽を聴くのであれば、
どういう音(システム)で聴きたいかが、本筋のところである。
それでも私の場合、最後の晩餐から連想したのは、
まずシーメンスのオイロダインというスピーカーだった、というわけだ。
だから「最後の晩餐に選ぶモノの意味」というタイトルした。
(その1)を書いたのは六年前。52歳のときだ。
いまもまだシーメンスのオイロダインを、最後の晩餐として聴きたい、というおもいがある。
それはまだ私が50代だから、なのかもしれない、とつい最近おもうようになってきた。
十年後、70が近くなってくると、オイロダインではなく、
ほかのスピーカーで聴きたい、と変ってきているかもしれない。
その時になってみないと、なんともいえない。
書いている本人も、変っていくのか、変らないのか、よくわかっていないのだ。
最近では、ヴァイタヴォックスもいいなぁ、とおもっているぐらいだ。
それでも、今風のハイエンドのスピーカーで聴きたい、とは思わないはずだ。