いま、空気が無形のピアノを……(その2)
音を聴きに来ませんか、と誘いがあれば、時間の都合がつくかぎりは行くようにしている。
一ヶ月前から決められているよりも、前日、当日に誘いがあったほうが都合がつきやすいことが多いので、
当日でも行けるのであれば行く。
そんなふうにして、決して多くはないけれど、オーディオマニアの方たちの音を聴かせてもらっている。
聴いたあとには、どうでしたか、ときかれることが多い。
そんなとき、感じていながらもいままで言わなかったことがある。
それは、音の形のことだ。
意外にも、というか、ほとんどの人が、音の形ということに無関心・無頓着なように感じている。
これは音像定位が悪い、といったことではない。
そこでピアノが鳴っているとする。
どんなにいい音で鳴っていたとしても、
目をつぶれば、すぐそこにグランドピアノがあり、そこから音が発せられているという感じがない。
これは音場感がよく再現されている、といったことともまた違う。
私は「五味オーディオ教室」からオーディオに入ってきた人間だから、
そこに書かれていた「いま、空気が無形のピアノを……」ということがまず気になる。
そう書いているけれど、私もまだまだではある。
けれど、音の形に、他のことよりも重きをおいている。
重きがおかれていない音に出あうと、
音の形について語りたくなるけれど、いままでは黙っていた。
それは失望を語ることに近いわけで、そうとうに親しい人であっても、そんなことをいえば角が立つ。
よく、忌憚なき意見を聞きたい、といわれる。
けれど、実際はそうではない。