Date: 10月 20th, 2014
Cate: 憶音
Tags:

憶音という、ひとつの仮説(その4)

小学校のころ飲んでいたコカ・コーラはガラス瓶に入っていた。
それからコカ・コーラをケースで買うと、コップがついてきた。
このコップに注いで飲んでいた。

小学生だと一気に飲めない。
しかも氷を入れていた。
しばらくすると氷は溶け、炭酸も抜けてしまう。
そんなコカ・コーラをストローで吸って飲んでいた。

そうなってしまったコカ・コーラに、あまり薬っぽい味はしなかった。
そして思うのは、いまコカ・コーラを買ってきて、炭酸が抜けた状態で飲んだ味は、
実のところ、昔とそう違っていないのではないか、ということだ。

私が小学生のころは炭酸飲料はそう多くはなかった。
いまはかなりの数があり、ハタチをこえれば炭酸入りのアルコールも飲むようになる。
そうやって炭酸という刺戟になれてきてしまっている。

炭酸への耐性が、小学生のころはほとんどなく、いまはしっかりとある、といえるだろう。
とすれば、コカ・コーラの味、初めて飲んだ時のコカ・コーラの味は、
炭酸という刺戟があってこそのものではないのか。

氷点下の三ツ矢サイダーは、通常の三ツ矢サイダーよりも炭酸がきめ細かく強い。
だから、はじめて飲んだ三ツ矢サイダーの味を思い出せたのかもしれない。

菅野先生が麦茶と思って口にしたコカ・コーラの味が、初体験のコカ・コーラの味をよみがえらせたのは、
炭酸飲料ということを知らずに飲まれたからではないのか。
麦茶と思ってだったから、炭酸は予期せぬ刺戟だったわけだ。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]