世代とオーディオ(その表現・その10)
フツーにおいしい、とか、フツーにいい音、とかに使われる「フツー」、
ここに予防線のようなものを感じてしまうのは私だけなのか。
自分で食べておいしいと感じたものを、誰かに教える。
そこで、相手もおいしいといってくれればそれでいいのだが、
相手が「たいしておいしくない」とか、どこか否定的ことを言ってきたら……。
そこで、こいつ味オンチだな、と思う人もいれば、
自分の舌がおかしいのかな、と思う人もいる。
フツーにおいしい、をよく使う人は、後者ではないのか。
そんなふうに思うことがある。
「たいしたことないよ」といわれたときに、
「だからフツーにおいしい、って言ったじゃない」と言い返せる。
ここでの「フツー」は、はっきりと予防線である。
(その7)で、
《オーディオ側から「どう、このいい音は」と言われているような音が好きではない、
だからそういう音にしないようにしている──》、
そんなコメントが(その6)にあったと書いているが、
このコメントにも、私は「フツー」と同じ予防線のにおいを感じてしまう。
コメントの人には、そんな意図はないのかもしれない。
たぶんないであろう。
本人も、「ない」というであろう。
でも、それは本人も意識していない予防線の可能性もある。
相手の反応に傷つきたくない──、
そういうことなのか。