Date: 11月 17th, 2022
Cate: ロマン
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好きという感情の表現(その11)

火曜日(11月15日)の夜、四人の集まりだった。
あれこれ楽しい会話が続いた。

そこで、好きということについてが話題になり、一つ思い出したことがあった。
いまから二十年以上昔の話だ。
まだスマートフォンは存在していなかった。

インターネットも普及しているとは、まだいえないような、そんな時代のころだ。

夜、電車に乗っていた。
私の近くに、二十代と思われる男女のカップルがいた。
男が、「キューブリック監督のファンなんだ」と女に話した。
女は「キューブリックって、どんな監督? どんな作品が好きなの?」と訊く。
それに対して男は「フルメタル・ジャケット」と答える。
女は「フルメタル・ジャケット?」「他にはどの作品が好きなの?」と。

男は少し間をおいてふたたび「フルメタル・ジャケット」という。
女はさらに「他には?」と。
男は、また「フルメタル・ジャケット」と答えていた。

キューブリック監督のファンとはいえない私でも、
他の作品はもちろんいくつか知っている。

それでも二人は見つめ合っていた。
女があきれた、とか、蔑むように男を見ていたのではなかった。
なんら二人の仲に変化はなかったように見受けられた。

男は、おそらく「フルメタル・ジャケット」しか、
キューブリック監督の作品は観ていないのだろう。
もしかすると、「フルメタル・ジャケット」も観ていないのかもしれない。
「フルメタル・ジャケット」について、何かを話していたわけでもなかったからだ。

笑い話でもあるわけだが、これでもいいようにも、いまは思うことがある。
当人同士が惚れ合っているのだから、それでいいのだろう。

「フルメタル・ジャケット」しか挙げられようでは、
キューブリック監督のファンとはいえない──、そう言うのはできるけれど、
本人が好きだ、というのであれば、周りがとやかくいうことではない。

まして好きということは、比較するようなことではない。
キューブリック監督の作品をすべていえる人は、
そしてすべての作品を観ている人は、電車の男よりも、
一般的にはキューブリック監督のファンということになる。

私も、そう思う。
それでも当人同士がしあわせなのだから、それでいいじゃないか、
本人(男)がキューブリック監督のファンだといい、相手(女)は疑わないのだから。

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